その日から僕は生まれ変わりました。初心に戻り、かつてないほど真剣にテニスに向かい合うようになったのです。まずは中途半端に終わっていた身体づくりを再始動。徹底した肉体改造に挑みました。僕のクラブにはスポーツ整骨院が併設されていて、オリンピック随行資格を持つアスレティックトレーナーの吉村健児君が院長を務めています。僕の元教え子でもあり、テニスプレーヤーとしても優秀な成績を収めてきた彼に、早速僕専用のトレーニングメニューとダイエットプログラムを作成してもらい、体脂肪を落としながら筋力を集中的に強化することにしたのです。
練習面では、基礎体力を養うトレーニングはもちろん、不安定な姿勢でインナーマッスルを鍛えバランス感覚を強化する体幹トレーニングや、瞬発力を高めるフットワークエクササイズ、逆を突かれたボールを打ち返す反応予測トレーニングなど、さまざまなメニューを取り入れました。
また日頃の不摂生の影響で、中性脂肪が付きやすい体質となっていたので、炭水化物ゼロの自然食を中心とした食生活に切り替え、1か月かけて体質の改善を図りました。甘いものが大好きな僕にとっては本当にキツい試練です。しかしこれら苦しい鍛錬の甲斐(かい)あって、最終的には10キロの減量に成功しつつも、弱点を補う筋力も手に入れることができたのです。
身体づくりと同時に、年間の試合スケジュールの作成にも着手しました。あくまで僕の目標は、来年9月に再び行われる2015年・第77回全日本ベテランテニス選手権。その一点のみに照準を合わせ、今大会での負けについてはもうクヨクヨ悩まず、翌年9月の時点で、心技体に芯と知を加えた“芯・体・技・知・心”の5つの面でピークを迎えられるよう、出場試合を慎重に選んでいきました。
全日本ベテランテニス選手権の出場資格を得られるのは、国内ランキングポイントで上位32位まで。しかしこの時の僕は、前回大会で2回戦負けを喫してしまったことで、57位と順位を大きく落としていました。もう一度出場圏内に返り咲くには、獲得ポイントの高いビッグタイトルに複数出場し、上位に入賞して点数を稼いでいくしかありません。
そこで僕は、本番で強敵となりそうな選手が出場する5大会に絞り込み、マークしたライバルに一人ずつ当たっていくことにしました。つまりこの5大会は、僕にとって実戦想定のテストマッチというわけです。そして、実際に大会が始まる来年の春に向け正月返上で、ひと冬まるまるハードトレーニングに費やしていったのです。
この間、入退院を繰り返していた野原さんの病状は徐々に進行していました。クラブに顔を出すこともできなくなっていたため、僕たちはメッセージアプリを利用してコミュケーションをとることにしていました。その中で野原さんは、『来年の名古屋ツアー(※全日本ベテランのこと)の優勝は、応援にいかないと! 病気に負けてる場合じゃないですね』と誓ってくれました。僕も『来年の全日本は初日から決勝まで見てもらわないとね。だからこれからは毎試合全力で闘ってくって決めたんだ。それで必ず全日本で優勝するところを野原っちに観てもらうからね。お互い頑張ろうね』と誓い返しました。
野原さんに元気になってもらうために僕ができることは、何をおいてもテニスで活躍することなのですから。苦しい抗がん剤治療を重ねる中でも彼女は、『うれしい結果を聞けると、私も諦めないで進んでいかなくちゃって思います』『私もちょっと体調が悪かったりするとヘコんでしまって。コーチの言葉で元気になれました。私のことを気にかけてくださって、ありがとうございます』とメッセージを送ってくれたことも。これは僕にとって本当に励みになりました。そしてクリスマスイブには『グランドに応援に行く夢を見ました。来年、ホントに行けるといいな』とのメッセージが。
僕も『腰が痛くてなかなか思うようには動けないけど、来年は必ず優勝するからね。名古屋での応援ヨロシクね』と、あらためて約束を交わしました。野原さんの頑張りを思えば、もっともっと僕も努力しないわけにはいかなないのですから。