第2章 野原さんとの約束 | 佐藤政大 公式サイト

第2章 野原さんとの約束

9月27日、2014年の大会が始まりました。練習不足は否めませんが、前年覇者である僕は当然ながら今大会でも注目を集める存在です。家族や友人、クラブ関係者など多くの方達が、2年連続の優勝を信じて会場へと応援に駆けつけてくれていました。

その中の一人が、野原っちこと野原雅代さん。僕のグループレッスンクラスの生徒です。「私もコーチのように全国大会を目指したい」と、日頃から熱心に練習に励む彼女は、いつも笑顔を絶やさず、みんなを明るくさせるムードメーカー。そんな彼女がクラスのメンバーを誘って、試合会場のある名古屋まで約500キロの道のりを、新幹線を乗り継ぎ応援に来てくれました。そして仲間とともに、アイドルさながらの熱いエールを送ってくれたのです。それなのに…。野原さんはじめ多くの方々の声援を受ける中、ディフェンディングチャンピオンであるはずの僕は、まさかの2回戦敗退を喫してしまうのです。

 

しかし僕自身、悔しさもありましたが、事態をそれほど深刻に受け止めていませんでした。腰痛症により練習もほとんどできない状態での出場だったため、「まあこの程度でも仕方がない。去年の優勝に満足しているし、来年は出場しなくても良いかな」ぐらいにしか感じていなかったのです。いや、それは自分自身に対する口実に過ぎず、実際には負けを正面から受け止めることを避け、ケガを理由に逃げ道を探していたというのが、本当のところだったのかもしれません。

あれほど問題点を指摘されたにもかかわらず、この時の僕はどれほど甘えていたのか。本当に自分のダメっぷりには情けなくなります。

 

 大会が終わると、いつも通りの日常が戻ってきました。僕も今までと同じようにテニスクラブの経営者としての日々を過ごしていました。そんな時、大会に応援に来てくれていたあの野原さんが突然、「テニスを辞める」と言い出したのです。あんなに熱心に練習に励み、試合でも頑張っていた野原さんなのに、僕にはまるで理由が思い当たりません。それもこんな急に…。

 野原さんのどこかただならぬ表情も気になりましたので、何事かと思いつつ話を聞けば、なんと「がんの告知を受けた」と言うのです。もしやと思って尋ねると、9月の名古屋の大会も「応援に行けるのはこれが最後になるかもしれないから」と、病を押して見に来てくれたのだと言うではありませんか。

 その瞬間、僕は激しい後悔と羞恥、そして懺悔(ざんげ)の念に襲われました。「僕なんかよりもずっとつらくて悲しい状況にある人が、命を懸けて応援してくれていたのに、僕はその人の前であんな無様な試合をしてしまった。もう取り返しがつかない」と。

 「野原っち、ごめんなさい。本当にごめんなさい。そんな想いを背負って来てくれていたのに僕は…」。謝る僕を見て彼女は、「そんなことありませんよ。政大コーチが真剣に戦っている姿を見て、私も頑張ろうって。本当にたくさんの勇気をもらいましたよ」。そう言って優しい表情を浮かべていました。

 ふとその時、僕の心にある誓いの念が浮かびました。「野原っち、来年は必ず優勝するから。約束するよ。だから、それまでお互い頑張ろう!」。僕のむちゃくちゃな約束を聞いた彼女は、きょとんとしながらも、さっき以上に優しい表情で僕を見つめ返してくれたのでした。

 

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