第4章 ライバルを知り、己を知る | 佐藤政大 公式サイト

第4章 ライバルを知り、己を知る

翌2015年3月28日。僕が最初に選んだ大会は、福岡県の博多の森テニス競技場で開催される「九州毎日テニス選手権」でした。

ひそかに僕は、ここで優勝して野原さんに元気を出してもらいたいと考えていました。この大会の仮想ライバルは、かつてベテランダブルスで僕とペアを組み、優勝を分かち合った道田光選手です。今大会でもそれぞれ勝ち上がっていた彼と僕は、ついに準決勝で直接対決を迎えます。

ペアを組んでいた相手だけに互いの強みも弱点もわかっている者同士。試合は予想通りの競り合いとなり、緊張感あふれる展開となりました。技術的にはほぼ互角の二人ですが、粘りに勝る道田選手について行けず、第1セットは3-6で道田選手が取得、第2セットも0-6と無念のストレート負け。根気強くボールに食らいつく道田選手に対し体が思うように動きませんでした。

 ドロップショットを打ち返す際のフォームが読まれていたことに加え、前後左右に振り回すようなバウンドの低いスライスショットを執拗(しつよう)に連発されたことにより、重心を落とした体制での瞬発的な筋力を消耗させられた僕は、無残な負け方を喫したのです。

 残念ながら今回は、野原さんに優勝報告することはできませんでした。けれども今回の対戦を通じ、自分のペース配分を守ること、最後まで走り抜くフィジカルを鍛えること、相手の逆を突くフォームを見つけることなど、多くの課題が浮き彫りになりました。野原さんとの約束を果たすためにも、これらを克服しなくてはなりません。

 「博多で優勝したらLINEしようと思っていたのに…。身体が思うように動かず、準決勝で負けてしまいました。悔しいけど、しっかり現実を受け入れて来週の東京オープンと再来週の東海オープンで頑張るね。とにかく今できることを精一杯やってみて、全日本に立ち向かうよ。野原っちも大変だと追うけどファイトだよ」と、僕は野原さんに無念の試合結果を報告しました。


 強豪、道田選手の前に悔しくも準決勝敗退となってしまいましたが、そのまま僕は翌日まで博多に残って決勝戦を見ることにしました。なぜなら僕を打ち負かした道田選手の次の対戦相手が、僕が過去3回対戦して1度も勝ったことのない難敵、細川敬介選手だったからです。キレの鋭いスイングが生み出すスピードボールが持ち味の細川選手。僕と全日本で当たることもあり得るわけですから、リサーチのためにもこの観戦機会を見逃すことはできません。ゲーム中は、客席から自分の姿を道田選手に重ね、イメージトレーニングを繰り返し行いました。そして意外にもその試合は、道田選手のストレート勝ちで終わったのです。道田選手の力量を前日の試合でつかんでいた僕にとって、この結果は充分に手応えを感じさせてくれました。

 「九州毎日」が終わった直後の4月4日には、「東京オープンテニス選手権」への出場が待っていました。有明テニスの森公園で行われるこの大会の仮想ライバルは、身長192センチのプロテニスプレーヤー・堀口元ビビアン選手。僕より2つ年下で、2011年の全日本ベテランでは35歳以上のクラスで優勝を果たした実力派です。

 2015年から40歳以上のクラスに移ってきた堀口選手は、僕にとって重要警戒の相手。その体格が生み出す強力なサーブと闘志あふれるプレースタイルが彼の最大の武器です。

 この大会で僕と堀口選手は、3回戦で激突しました。

第1セットは佐藤7-5堀口、第2セットは2-6と僕も善戦しますが、ワンセットオール、つまり双方の取ったセット数が同じであるため、最終セットは10ポイント先取のタイブレークで勝敗を決める「スーパータイブレーク」が採用されました。ラリーに持ち込めばこちらにも勝機はありますが、やはり絶対的に優位に立つのはビッグサーバーである堀口選手。

 大きな体格を生かした高位置から打ち出す、重く角度のあるスピードサーブに対処するには、コートの後方で球筋を見極めてレシーブするしかなく、その時の僕の身体能力ではボールについていくのがやっと。その間に堀口選手にはネット近くに詰めよってくるため、まるで巨大な壁を相手に戦っているような威圧感があります。僕は至近距離から打たれるスピードボールに反応できず、何度も瞬殺されてしまう有様です。しかも堀口選手は、ポイントを取るたびに野太い雄叫びを上げるため、心理的なプレッシャーも相当なものです。

 結局、ファイナルセットは10-4の大差をつけられ負けてしまいました。堀口選手の「サーブ&ボレー」に対応できず、試合の主導権を握られてしまっていたのです。「サーブ&ボレー」とは、サーブを打った後、相手がリターンを返す間に前方に攻め出て、ネット際からボレーショットを放つ攻撃的な戦術です。

 敗因はやはりサーブ力の差。堀口選手の高速サーブに圧倒され、僕は対応するのも精一杯。甘いリターンを返したところを、ノーバウンドでボレーを打たれてしまいます。パッシングショットで横を抜きたくても、時間的余裕を奪われた僕はロブショットで上方向に逃げるしかありません。しかし頭上で大きな弧を描く弾道は、長身の堀口選手にとってはチャンスボールとなるため、高打点から角度のあるスマッシュを決められてしまうのです。

 これを封じるにはリターンの精度を高め、追い詰められたところから相手の横を抜き去る、強くて低いパッシングショットを打ち切ることが必要だと痛感しました。そのためには、反応速度を早めるトレーニングを積み、どんな体制でもレシーブできる下半身の筋力と、正確に打ち返すテクニックを身につけなくてはなりません。結果として試合には負けましたが、今回も大きな課題が見つかり、収穫ある大会となりました。

 ちなみに、同時に開催された40歳以上男子ダブルスでは、「九州毎日テニス選手権大会」で戦った道田選手と再びペアを組んで出場。こちらは順当に勝ち進み、決勝戦でも6-4・6-1とストレートで優勝を決めることができました。

 しかし今回もシングルスでの優勝を逃してしまった僕は、野原さんに良い報告ができませんでした。それでも僕は『準々決勝でビビアンにファイナルスーパータイブレークで負けちゃった。でも久しぶりにお互い吠えまくりの熱い闘いでした。来週の名古屋の大会では、この2週間の集大成をぶつけて優勝し、全日本に挑みたいと思っているよ』と次回の奮闘を誓うメッセージを送りました。野原さんからは『コーチが頑張っている姿は、やっぱり私の支えになります。私も頑張らないと、って思います。ダブルスの優勝おめでとうございます。次の試合結果、楽しみにしています』との返信が届き、その言葉に『今度こそ、絶対に優勝しなくちゃ』という想いをより強く抱いたのでした。

 翌週の4月13日からは「第68回東海毎日ベテランテニス選手権大会」にエントリーです。全日本と同じ、名古屋の東山公園で行われるトーナメントです。この大会で対戦相手として想定したのは、前年の覇者、つまり2014年の全日本40歳以上シングルス優勝者である松枝つとむ選手。

テニスコーチとして生計を立てているプレイヤーで、的確なカウンターショットと粘り強い試合運びが特徴の強敵です。この大会、松枝選手とは3回戦での対戦となり、第1セット佐藤3-6松枝に対し、第2セットは6-3と互角の勝負。しかし縺(もつ)れ込んだファイナルセットでは再び3-6と覆され、やはり敗北を喫してしまいます。気持ちと体力が噛み合わず、松枝選手のカウンターショットを打ち返そうにも、足がついてこなかったことが敗因でした。カウンターは対戦相手のボールの力を利用して打ち返すショットで、僕が速いボールを打てば打つほど、反対に速球を返されてしまったのです。

 また、ポイントでリードすると「ゲームを早く終わらせたい」という気持ちが生まれ、雑なプレースタイルとなってしまい相手を完全に攻めきれなかったことや、フォアのグランドストローク精度の低さなど、この試合を通じてさらなる弱点も浮き彫りになりました。

 実のところ僕にとって松枝選手は、これまでの対戦では非常に相性の良い相手でした。そのため心のどこかに「今回も勝てる」という慢心があったのも事実です。この黒星によって受けた精神的ダメージは相当なもので、「こんなに一所懸命やっているのに勝てないのだから、全日本ベテランでの優勝なんて到底無理だ。もうテニスを辞めた方が良いのでは…。」と自信を失うほどで、心が完全に折れそうでした。そのようなことも重なり、今後への不安だけが残る結果となってしまいました。

 大会中に野原さんから退院の知らせが届きましたが、情けないことにまたしても優勝の報告はできません。完全にしょげ返っていた僕に、野原さんは「残念でしたが、課題がわかるってスゴいです。相手は第一シードですから」と、逆に気遣いのメッセージを送ってくれました。そしてこの言葉が、ネガティブモードの僕に「このままではいけない」と目を覚まさせてくれたのです。僕なんかよりももっとつらい立場で頑張っている野原さんのことを思えば、自然と気力が湧いてくるのを、僕は感じました。

 4月後半から5月にかけては、大会参戦のため手をつけられなかったテニスクラブでの仕事に追われる中、道田光選手、堀口元ビビアン選手、松枝つとむ選手との対戦で浮かび上がった課題に対応するための練習と身体づくりにも励みました。9月の本番に向け、来月以降も対戦シミュレーションを兼ねた大会へのエントリーが控えているのです。

 

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