第11章 限界を超えての死闘 | 佐藤政大 公式サイト

第11章 限界を超えての死闘

気持ちの切り替えが効いたのか、第3セットでは少し余裕が持てるようになりました。全力を出せないことは自分でもわかっていましたが、この状況から勝利を得るには何をすれば良いか、冷静に考えられるようになったのです。そして僕は、ショットを重ねる中で衝撃を感じない時があると気付きました。おそらく身体に響かないフォームがあるはずです。僕はそのフォームを探り始め、ついに特定の体勢を見つけことができました。

もちろん、そんなフォームでベストショットを決めることは難しいのですが、それでも僕は最後までコートに立ち続ける自信を取り戻せました。その根底にあったのは、幼い頃から父に繰り返し教えられた「必ずコートの中に打ち返せ」という佐藤家流のメソッド。どんなボールでも、相手のコートに打ち返し続ければいつかは勝てるという、シンプルな理論です。

その教えを思い出すと不思議と身体も動くようになり、気がつけば悲鳴も出なくなっていました。すると第3セットは1-0と先制、その後も1-1、2-1、2-2、3-2、4-2、5-2と徐々にリードを広げていったのです。

 この時の僕は、何やら神がかり的なパワーを帯びていました。それは、自分でも不思議に思うほどの力です。しかしそんな展開もつかの間、今までミスを繰り返していた細川選手の目つきが変わります。そして全てのボールが打ち返され、5-4から(0-40)の局面。パッシングショットが来ると思ったところをロブで頭上を抜かれ、あっという間に5-5に追いつかれます。さすがは細川選手、やはり恐るべき相手です。さらには5-6と逆転され、相手にマッチポイントを許してしまいます。もう後がありません。

 「諦めたくない。負けたくない。ここまで頑張ってきたのだから、身体がどうなろうとやり抜くんだ。」そんな感情が心の中から湧き上がります。

 アドバンテージ細川、サーブ佐藤の場面。第1セット終了間際と同じような展開です。おそらく細川選手はセンターへのサーブが来ると予測しているにちがいありません。僕は裏をかいてワイド方向バックにサーブを打ち、相手のリターンからクロスボレーを決めてデュース。いったんは細川選手に傾きかけた流れを引き寄せます。その後も互いにデュースの応酬を繰り返し、4度目のデュースへと縺(もつ)れ込みます。「ここはもう前に出て勝負するしかない」。痛みを堪えながら、ストレート、クロスと相手ロブからの連続スマッシュを決め、6-6タイブレークへの持ち込みに成功します。

 細川選手の実力に押されまくるも、粘りに粘って奇跡的なネットインに助けられタイブレーク(1-0)。これで勢いがつき先ほど成功した「サーブ&ボレー」を仕掛けるも、パッシングショットで横を抜かれ(1-1)。細川選手相手に同じ手は通用しないのです。そこで作戦変更、今度は裏をかいて「サーブ&ステイ」で前に出ず(2-1)。ここでサーバーチェンジ。バックコート目掛け飛び込んで来た細川選手の見事な一打を、僕はどうにか打ち返すだけで精一杯です。すると当たり損ねのスライスボールが、辛うじてネット際に落ち何と(3-1)。神が味方したのか、野原さんが味方したのか、2度も奇跡が重なりました。

 けれどさすがは細川選手、全く怯(ひる)みません。気負うことなく積極的に前に出て、スマッシュで決められすかさず(3-2)。サーバー佐藤に変わるも、ファーストサーブをラインギリギリに返され、ボールに触れることすらできません。(3-3)と追従された後、渾身のドロップボレーが決まり(4-3)と再度突き放しに掛かります。しかし、しぶとさでは細川選手も引けを取りません。あっという間に(4-4)に詰め寄られます。

 次の場面、サーブの正確さに長ける細川選手が、まさかのファーストサーブミス。ダブルフォールトのリスクを避け、守りのセカンドサーブが来ると見込みんだ僕は、ここで一気にリターンダッシュをかけ、意表をついてボレーで勝負。この読みが当たり(5-4)、相手サーブポイントをブレークします。サーバー佐藤という有利な状況を生かし果敢に前に飛び出すも、またもパッシングショットで抜かれブレーク返し。(5-5)と一進一退の攻防が続きます。細川選手、まるでメンタルが切れません。

 その後(6-5)のマッチポイントを得るも、身体中が「もう限界」と悲鳴を上げています。「ここはとにかく守り切ろう」と、攻めずに粘って粘って相手のミスを待つものの、10往復以上の長いラリーに振り回され、最後はライン際ギリギリのボールで打ち切られてしまいます。

 またしても(6-6)の同点に迫られる、文字通りのシーソーゲーム。両者一歩も譲らぬ緊迫の試合展開が続きます。体力が持たない僕は、前後に相手を揺さ振ることしかできません。しかしこれに翻弄(ほんろう)されたのか、細川選手が痛恨のアウトミス。7ポイントを奪取した僕は、このセット2回目のマッチポイントです。

 あと1点取れば勝てるのですが、体力はすでに限界を超えています。いくら突き放そうとしても、僕の打球はことごとくレシーブされ、打つ手の全てを封じられてしまっています。執拗(しつよう)に食い下がる細川選手に「1球でも多く相手のコートに打ち返す」という、父の教えはもう通用しませんでした。相手のミスを待つ闘い方をしていては、細川選手のプレーを凌(しの)ぐことができないのです。

 「もうだめかもしれない…。」不覚にもそう思った瞬間、誰かがそっと僕の背中を押しました。そして「大丈夫、自分を信じて!」という声がはっきりと聞こえたのです。そう、あの野原さんの声です。間違いありません。この局面を打ち破るには、守りから攻めに転じるしかないと教えてくれたのです。

 その瞬間、僕は大きく伸び上がり、渾身の力を込めてサーブを打ち出しました。今思い返しても最高のサーブでした。完璧なコースに放たれた一打に、細川選手はバランス崩しながらもリターンを返します。僕は背中を押された勢いに任せて一気に前進し力強いボレーで応戦、ボールはベースラインギリギリ内側へと入っていきます。細川選手も諦めず食らいつきますが、落下点が深いためパッシングショットを放てません。やむなくロブを返しますが、体制を戻しきれない中で放たれたボールは、大きな弧を描きながらわずかにコートの外へと落ちていきました。

 「よっしゃー!」観客席で誰かが大きな声で叫ぶのが聞こえました。その声を聞いて、無我夢中だった僕は我に返ります。自分が優勝したことを確信したのです。ついに野原さんとの約束を果たしたのです。しかし、もう立っているのもやっとです。そのままコートの上に仰け反るように倒れ込みました。そして、東山公園テニスセンターの天井へと向けられた僕の視線の向こう側には、野原さんの笑顔がはっきりと見えていました。

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