第10章 ボロボロの身体で | 佐藤政大 公式サイト

第10章 ボロボロの身体で

そして迎えた翌10月1日木曜日。これから決勝を戦うにもかかわらず、疲労が極限まで達していたため「気がついたらもう朝」という状態でした。全身の筋肉が痙攣(けいれん)し、歩くのさえやっとの有様。さらに悪いことに、連戦の影響で足の踏ん張りが利かなくなっていた僕は、前日のダブルスの際に足を滑らせてしまう場面が続き、股関節も痛めてしまっていました。あまりのコンディションの悪さに「さすがにこれはヤバい」という不吉な予感を覚えたほどです。そこでやむを得ず選んだのが、強力な痛み止めの使用でした。普段なら痛み止めを使ってまで試合に臨むことはないのですが、この時の僕は、野原さんとの約束を果たすために何としても戦う必要があったのです。

 吉村トレーナーにチェックしてもらいながらウォーミングアップを行い、どうにか開始直前までに体調を整えることができました。さあ、気合いを入れ直していざ出陣です。決勝のゲームは序盤から息の詰まる展開となりました。佐藤0-1細川で始まった第1セットは、3-1、3-2、4-2、4-3、5-3、5-4と一進一退の攻防が続きます。その後、5-5と追いつかれてしまったため、このセットを取るには2ゲーム差をつけなくてはなりません。今度は僕が細川選手のサーブゲームを破ってカウント6-5とリード。さあ、あと1ゲーム取れば第1セット獲得です。

 「次のゲームは絶対落とせない、必ずここで決めないと!」。満身創痍(まんしんそうい)の体で、長時間に亘って戦い続けることはできません。6-6のタイブレーク突入は絶対に阻止しなくてはならないのです。僕は渾身の力を込めてファーストサーブを打つと、すかさず勢いよく前方に詰め寄りました。そして細川選手からのレシーブをノーバウンドで弾き返します。そう、細川対策としてトレーニングを重ねた「サーブ&ボレー」です。細川選手はバックハンドでかわしましたが、放たれたパッシングショットはそのままネットに突き刺さりました。これで(15-0)と1ポイント先行です。しかし常に僕の上を行くのが細川選手。続く僕のファーストサーブに対し、もう一度パッシングショットで応戦。いとも簡単にリターンエースを決められてしまいます。

 場面は(15-15)のイーブン。「均衡状態を破るため、何か方法はないだろうか」。リターン力に勝る細川選手を抑え込むには、緩急をつけたサーブ運びで心理的に揺さぶりをかけ、ミスショットを誘いたいところです。これまで速いサーブを2回連続で打ったので、そこで今度はスピンサーブで勝負することにしました。ボールに回転をかけて高く弾ませ、相手がリターンが打つタイミングをずらせば、コート前方へ詰める時間的余裕が生まれます。そうすれば、ネット近くでボレーを決められはずです。

 狙いは、高い打点から落下しセンターラインぎりぎり深くでバウンドするスピンサーブ。その弾道をイメージしながら、大きなモーションから振りかぶるように腕を振り上げた瞬間、悲劇が僕の身体を襲いました。力強いサーブを打とうと、いつもよりも大きく仰け反った反動で、僕の身体の中で何かが「バキッ」と音を立てたのです。この時、嫌な感覚が脳裏をよぎりましたが痛みや苦痛は感じられません。

 後でわかったのですが、痛み止めを服用していたことで無理な姿勢になっても苦痛を感じず、肋骨(ろっこつ)に過剰な力が掛かりすぎてて骨折してしまっていたのです。しかしその時、僕は痛みに対して無感覚でしたから、何が起きたのかわかりません。幸いにもこの局面では、狙い通りのサービスエースが決まり、ポイントは(30-15)。僕はとりあえずそのまま試合を続けることにしました。

 その後は互いにネットミスで(30-30)、(40-30)となり、いよいよセットポイント。あと1つでこのセットを奪えます。ここはサービスエースで決めたい場面です。僕はサービスエリアの左奥、ワイド方向へのサーブを狙い身体を大きく反らしトスを上げました。しかしその瞬間、上半身に痛みが走ります。急遽(きゅうきょ)トスアップをやり直し、直感的にフォームに無理がかからないセンターへのサーブヘと切り替えました。立ち位置は変えず、左サイドセンターライン寄りのまま。ゆったりとした構えから一気にラケットを振り抜きます。するとこれが功を奏したのか、思いもよらぬコースへの打球に細川選手は一歩も動けず、ボールに触れることすらできません。ここを落としたら試合に負けていたに違いない緊張の場面でしたが、結果的にダメージによる偶然に救われました。これで何とか第1セット先取です。

 さほど痛みは感じませんでしたが、念のためセットブレイク中にメディカルタイムアウトを取り、大会トレーナーにボディトリートメントとテーピングを施してもらって試合を続けることにします。

 続く第2セット。最初は大丈夫だと思っていましたが、徐々に痛みが身体を襲い始めます。苦痛の中で相手の思うがままに振り回され、ボールを返すので精一杯。痛みからフォアハンドのスピンを振り抜けず、防戦一方の展開です。まさか骨折しているとは思いもよらない僕はそのまま対戦を続けたのですが、なぜか全く身体に力が入らなくなりました。それどころか、呼吸すら苦しい状態です。ボールに付いて行こうにも思ったように足も手も動かず、インパクトの瞬間には鋭い衝撃が身体中に響き渡ります。骨折していたのですから当然なのですが…。第1セットを先取し、その時点ではリードしているにもかかわらず、絶不調に陥った僕の頭には「敗退」の2文字がよぎります。しかし「ここで諦めていては野原さんとの約束が果たせない。松岡さんにも合わせる顔がない。ここは何としても食らい付いていこう」。そう覚悟を決め、無理やり身体を動かしました。本音を言えば痛み耐えられず、第3セットまで身体が持たないと感じていたのですが、今できることはどうにか第2セットを戦い抜くことだけ。相手の思うがままに翻弄(ほんろう)され、ボールを打ち返す度に悲鳴のような叫び声が無意識にこぼれます。結局このセットは2-6で落としつつも、ギリギリ持ち堪えたというのが実情でした。

 セットブレイク中はあまりの痛みに耐えきれず、もう一度ボディトリートメントをしてもらいました。瀬戸際に追い込まれた状態の中、スタンドを見上げると吉村トレーナーが両腕で大きく「×」のサインを掲げています。「棄権しろ」という意味です。そのサインを見て、僕の目には涙があふれきました。「こんなに頑張ってきたのに、何でなんだ…。野原さんとの約束を果たすまで、あともう一歩なのに…」。不甲斐(ふがい)ない自分に腹が立って、情けなくて、悔しくて。試合中、悔しくて泣いたのはジュニアの時以来です。あの時は、ただ単純に勝てないことが悔しかった。しかし今は、自分の身体を思うように動かせないことが悔しくて悔しくて堪らない。と同時に、自分の身体の大切さをこれでもかと思い知らされたのです。

 それでも涙を拭くと、自分の中の何かが吹っ切れました。「みっともない姿をみせたくない」と、どこか格好をつけていた気持ちが消え、かわりに「負けを恐れずに最後まで戦い続けよう。できることはまだあるはずだ。何をすべきか考えよう」と、前向きな感情が沸き上がってきたのです。

 

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