第1章 痛いダメ出し | 佐藤政大 公式サイト

第1章 痛いダメ出し

テニスプレーヤーである僕・佐藤政大が、松岡哲也さんと会っていたのは、第77回全日本ベテランテニス選手権の約1年前、2014年の8月23日の夜のことでした。松岡さんは「日本商業開発株式会社」という企業の代表取締役社長で、テニスを通じて知り合った友人であり、また人生の師として尊敬する存在。松岡さんからは人生観や勝負勘を学ばせてもらい、僕はテニスのヒッティングやティーチングをしたりと、互いにとても有意義な付き合いをさせてもらっていました。

翌日にテニス仲間を集めての練習会を控えたその夜、僕たちはホテルのレストランで松岡さんの知人を交えて夕食をとっていました。同席されたその方は松岡さんにも勝るとも劣らない人格者で、以前から尊敬の念を抱いていた人物です。その方と直接会うのは当日が初めてでしたが、なんと初対面にもかかわらず「あなたからは本気でやる覚悟が感じられない」と、いきなりダメ出しをされてしまったのです。

前年の2013年に行われた第75回全日本ベテランテニス選手権・40歳以上のクラスで優勝した僕は、当時日本一の選手でした。しかし現状に満足し、その上を目指そうという志を失っていたことや、暴飲暴食などの不摂生を重ねた毎日を過ごしていたことを、いとも簡単に見破られたという訳です。

尊敬する人物からの指摘ですから、僕は真摯(しんし)にその言葉を受け止め、すぐに生活態度を改めようと誓いました。というのも、翌9月下旬には、第76回全日本選手権が控えていたのです。

その夜は松岡さんが、僕のために都心の一流ホテルを予約してくれていました。僕は高層階のエグゼクティブルームの窓から、まばゆいほど輝く東京の夜景を目の前にしながらも、心ここに在らずの状態です。これまでの自分の姿勢に対する反省と、これから始まる挑戦への想いが入り混じり、頭の中がいっぱいになっていたのです。あまりに広くリッチな部屋であったことも重なり、僕は興奮してその晩はほとんど眠れませんでした。

しかし翌日、「今日から俺は生まれ変わって、もう一度テニスに真剣に取り組むんだ」という固い決意に水を差す出来事が起こります。明治神宮外苑のテニスクラブでの練習会が始まって早々に、仙腸骨に異常をきたし重度の急性腰痛症に見舞われてしまったのです。僕はあまりの痛さにその場に倒れこみました。

「練習会のために貴重な時間を割いてくれた上に、高級ホテルで前泊までさせてもらったのに…」。と申し訳なさそうにしている僕を見て、松岡さんは「何しとんねん?せっかくホテルまでとったのに(笑)」と、明るくその場を収めてくれたのです。そのやさしい気遣いに心が救われたと同時に、本当に情けない思いでいっぱいになりました。

全く動けなくなってしまった僕は、人生で初めて救急車に乗せられ、慶應大学病院に運ばれました。ただでさえ昨夜に指摘を受けたばかりです。救急車の天井を見上げながら、自分の健康管理の甘さを痛感させられました。病院に着くと、当直のドクターに応急手当をしてもらったものの、あいにくベッドに空きがないとのことで入院もままならず、仕方なくそのまま地元である栃木県の宇都宮市に帰ることに。その日はたまたま、僕が経営するテニスクラブのスタッフがプライベートで上京していましたので、不幸中の幸いとばかりにそのスタッフに頼み込み、僕の乗ってきた車を運転してもらい、後席でウンウン唸(うな)りながらやっとの思いで100キロの道のりを帰ったのでした。

昨夜のダメ出しを受けて「本気で身体づくりに励むぞ!」と気持ちの面では鼻息も荒い僕でしたが、動けなくてはどうにもなりません。結局、練習ができるようになったのは9月も半ば過ぎ。大会まで残り2週間を切っていました。

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