第6章 既読のつかないメッセージ | 佐藤政大 公式サイト

第6章 既読のつかないメッセージ

それから2か月ほど経った7月20日、千葉県の九十九里浜にほど近いテニスコートに僕はいました。クラブの子供たちが出場する「関東ジュニアテニス選手権」の引率のためです。残念ながら試合で実力を発揮できないまま負けてしまった教え子たちに、愛の叱責を飛ばしていた時でした。真剣に話す僕を遮るように携帯電話が鳴ったのです。「野原さんが…」と、電話の相手はそのまま声を詰まらせています。その沈黙を耳にして、なぜか僕の目に自然と大粒の涙があふれ出しました。それから少し遅れるように、僕は頭の中で事情を理解しました。電話の向こうの相手はまだ言葉を失ったままでしたが、「野原さんは逝ってしまったんだ…」と感じたのです。

 子供たちを前に、僕は野原さんのことを話さずにはいられませんでした。教え子達も、野原さんの置かれた状況については知っています。「野原さんは頑張って頑張って生き抜いたんだぞ。だけどもう、頑張りたくても頑張れなんだ。それなのに…。おまえ達は何をやってるんだ。本当に精一杯やったと胸を張れるのか? 次はないと思って全力を出し切ったといえるのか? 自分自身に悔いのないように、力の限りを尽くすことが大切なんだぞ!」そう言いながらも、その言葉は僕自身にも投げかけられていました。一度も優勝報告できないまま、野原さんは旅立ってしまったのです。もう野原さんに会うことすら叶わないのです。心の中は悲しさと悔しさでいっぱいでしたが、それでも僕にはたったひとつの救いが残されていました。それは、全日本ベテランで優勝するという約束です。いま僕ができるのは、この約束を果たすことだけなのです。

 その数日後に執り行われることになった野原さんの告別式には、団体戦の日程が重なっていました。試合を棄権することもできたのですが、今の僕にとって何より大切なのは、来たるべき全日本ベテランに向けて実戦を積み重ね、最善の結果を出し続けることです。試合を放棄してまで告別式に向かったりしたら、野原さんに叱られてしまいます。葬儀へ参加できない代わり、僕は大会前に、葬儀場で安らかに眠る野原さんに会いにいきました。まるで眠っているかのような野原さんの表情を見ると、とても亡くなってしまったとは思えませんでした。現実として受け入れたくなかったのかもしれません。僕は野原さんに「告別式には出られないよ。ごめんなさい。試合があるから。野原さんとの約束を果たすために、全力で挑んで来るよ。そして、10月の全日本では絶対に優勝して見せるからね。」そう、あらためて誓ったのです。

 7月26日午後2時。出棺の時間に合わせて、野原さんに最後のメッセージを送りました。大会会場から戻る電車の中からでした。『全日本頑張るから、応援頼むね。天国まで気をつけて行ってください。またテニスしようね。いっぱい勇気をくれてありがとう。』と。そして『さようなら』ではなく、『またね』と締めくくり、送信ボタンを押したのです。

 決してそのメッセージに既読がつくことはない、そう知りながら…。

 

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