母が亡くなって、僕たち兄妹が一番困ったのは、毎日の食事でした。料理は父がしてくれるのですが、メニューは決まって野菜炒め。ワガママを言ってはいけないのはわかっていましたが、毎日同じメニューは正直うんざりでした。
そんな時、僕たちのために料理を作ってくれるようになったのが、スクールの初心者クラスに通うふじ子さんです。自動車ディーラーで事務員として働いていたふじ子さんは、母が他界してからはスクールの事務仕事も手伝ってくれていました。とてもやさしいお姉さんで、僕らは親しみを込めて「ふじ子ちゃん」と呼んでいました。
ふじ子ちゃんは料理関係の仕事をしていた経験もあり、料理の腕前は折り紙つきです。彼女が作ってくれたものは何を食べても本当においしかったので、僕たち兄妹は大喜びでした。そんな二人の姿を見て、父はふじ子ちゃんにあるお願いをします。
当時、ふじ子ちゃんは半年後に結婚を控えていたのですが、それまでの間で良いから子供たちの食事を作って欲しいと頼んだのです。普通に考えれば何とも厚かましいリクエストなのですが、父はそんなことにまで気が及びません。ただ素直にふじ子ちゃんに懇願したのでしょう。そんな飾り気のない父と、いつもお腹を空かせては手料理に大喜びしている僕たちに情が移ったのか、なんとふじ子ちゃんはこの無理な願いを快く受け入れたくれたのです。
毎日の野菜炒め攻撃から解放され、充実した食生活を送れるようになった僕たちは、それまで以上にふじ子ちゃんが大好きになりました。ふじ子ちゃんが我が家で過ごす時間も自然と長くなり、いつしか本当のお姉さんのような存在になっていきました。
そんなふじ子ちゃんと僕たち家族に転機が訪れたのは、ある晩のことでした。
いつも通りふじ子ちゃんは僕たちの家にいたのですが、なぜか遅い時間になっても帰ろうとしません。実はその夜、婚約者が実家に挨拶に来る予定だと言うのです。それならなおさら、と父が早く帰宅するように促しますが、ふじ子ちゃんは曖昧(あいまい)な返事をするばかり。
それどころか、突然「今夜はここに泊まりたい」と言い出すではありませんか。彼女の気持ちをつかみきれない父も困惑している様子でしたが、ふじ子ちゃんも大人です。父も彼女の気持ちを尊重して、無理やり帰らせるようなことはしませんでした。
しばらくすると、ふじ子ちゃんの家から「婚約者は怒って帰ってしまった」と連絡が入りました。それを聞いたふじ子ちゃんは、両親に会わせる顔がないからと、数日だけ僕たちの家に泊まることになったのです。
ところがしばらく経っても、彼女は自宅に帰ろうとしませんでした。
毎朝、僕たちの家から出勤し、帰ってくると僕たちの食事の準備をし、そのまま僕の家で眠りにつきました。
結局、そのような日々はそれから数カ月にも及び、次第にふじ子ちゃんと僕たちは今まで以上に本当の家族のようなっていきました。
父もそんな彼女に特別な感情をいだいたのでしょう。また、若い女性をこのような境遇に置いてしまったことへの責任も感じていたのでしょう。
父は「ずっとこの家に入って欲しい」とふじ子ちゃんに気持ちを伝えたそうです。きっと彼らしく、ただ真っ直ぐに。つまりプロポーズです。それに対するふじ子ちゃんの答えは……。
「子供たちのお母さんにはなれないけど、お姉さんでもいいですか?」だったそうです。
どうしてあの夜ふじ子ちゃんが家に帰らなかったのか、今も僕にはわかりません。ちょっとした運命のいたずらだったのかもしれません。もしそうだとしても、あれから数十年、ふじ子ちゃんと父は今でも二人仲良くテニスコーチとして働きなら一緒に暮らしています。それが、僕たち家族の歩んできた道なのです。