36話 つらい嘘 | 佐藤政大 公式サイト

僕自身が子を持つ親となった今、10代の頃を振り返って冷静に考えれば、母親がいない分、父は保護者としての責任を強く感じていたに違いありません。

片親であることの負い目を僕たち兄妹に感じさせないよう、力の限り愛情を注いでくれたのでしょう。
男親ゆえに、僕に対してはその想いが「厳しさ」という形で表れたに違いありません。
けれども当時の僕はそのプレッシャーに絶えきれず、常に父と距離を取ることばかり考えていました。「しつけ」という形で示される父の愛情が重すぎて、正面から受け止めることができなかったのです。

しかし高校を卒業すると、それまで厳しかった父の態度が一変しました。押さえつけるような干渉が減り、反対に1人の人間として扱ってくれるようになったのです。
「今までは未成年として守ってきたが、これからは自分の力で人生を切り拓いて行け」。もしかすると父は、そう伝えたかったのかもしれません。

とはいうものの、僕は父のそんな想いに気付くことはありませんでした。むしろ、長年の抑圧からの開放された勢いに身を任せ、旧友の荒川君と夜な夜な遊び歩いていたほどです。テニスプレーヤーとしては正直褒められた所業ではありませんが、まあ当時の僕は、それほどまでに自由を求めていたという訳です。

もちろん浮ついた気持ちでテニスと向き合ってはいけないと思ってはいましたが、心のどこかに「まだ羽を伸ばしきれていない」という欲求があったように感じます。

そんな気持ちを心の奥に抱えた19歳の夏、僕は全日本都市対抗テニス大会に出場するため、名古屋に向かいました。
試合会場では地元高校のテニス部員たちが審判員としてボランティア参加しており、試合日程が進むほどに、僕は高校2年生たちのグループと仲良くなっていきました。

そのような中、僕は高2グループや他の選手たちを誘い、試合後にカラオケに出かけるようになります。高校生の中には女子生徒もいましたが、女性というよりテニス仲間という感覚でしたので、僕としては特に気に留めることはありませんでした。

翌年の夏、僕は愛知県で開催の「第49回わかしゃち国体」に出場します。
その会場は、偶然にも昨年の都市対抗テニス大会と同じ。不思議と偶然は重なるもので、今回も昨年の高校生たちが再び審判として参加していました。

選手たちもあの時と同じメンバーが多く、みんな思いもよらぬ再会に大喜びです。当然、今年も試合後は一緒に遊びに出かけることとなり、僕らは再び楽しい時間を過ごすことになったのですが、その中のある女子高生が僕と連絡先を交換したいと言ってきたのです。

僕は深く考えずに電話番号を伝えました。もちろんその時点で僕には何の下心もありません。単純に教えて欲しいというので教えただけです。しかしこのことを切っ掛けに、僕と彼女の距離は徐々に縮まっていくことになります。

彼女はどこか大人っぽい雰囲気を持つ女の子でした。ただでさえ同世代の男子が子供っぽく見える年頃ですから、年上の僕と気が合ったのも自然なことだったのかもしれません。やがてどちらからということもなく、いつしか僕たち2人は交際することになっていきました。

とはいえ名古屋と宇都宮ですから、かなりの遠距離恋愛です。しかも相手は高校生。必然的に会いに行くのは大人である僕の方になります。
まだ収入が少ないに僕にとっては、名古屋通いの交通費はかなりの負担でした。けれど愛のパワーとは計り知れないほど強く、彼女と会うためなら、他のどんなことでも犠牲にできたのです。名古屋に行くことを最優先し、本当にもう必死の思いで旅費を工面していました。しかしそんな無理は長くは続きません。

その年の冬を迎える頃、とうとう手持ちの資金が尽き、しばらく会いに行けない状況が続きました。同じ時期、彼女は進学か就職かの進路を巡って父親と対立しており、折り合いがつかない中つい勢いに身を任せ、「結婚する」と家を飛び出します。そして、僕のもとへとやってきてしまったのです。

僕は彼女の気持ちを受け止めつつも困惑しました。彼女の気持ちは嬉しかったのですが、まだまだ僕も半人前です。当時の僕の立場では、彼女を幸せにできる自信がありませんでした。それにこのまま高校を中退させてしまっては、名古屋のご両親に申し訳が立ちません。僕は「またテニスで稼いで会いに行くから」と彼女をなだめ、まずは高校を卒業するように説得し、両親のもとへと送り返しました。

その後、彼女は名古屋に戻り無事高校を卒業。愛知県内の短大に進学します。
その頃には僕の収入も少しずつ増え始めていたので、以前よりも頻繁に会いに行けるようになっていました。二人はこのまま順調に恋愛関係が続くに信じて疑いもしませんでした。しかし、幸せなはず僕たちに、ある問題が投げかけられます。いや、「僕たちに」ではなく、「僕に」と言った方が正しいかもしれません。

ある日、宇都宮の僕の家に彼女の母親から電話が掛かってきました。「お願いだから娘と別れてほしい」という内容でした。
ご両親からすると、まだ若い時点の判断で、娘がこれから先の人生を決めてしまうことに懸念があったのでしょう。
テニス選手という不安定な職業に就く僕に娘を嫁がせることにも、強い抵抗があったに違いがありません。
故郷から遠く離れた見知らぬ場所で暮らすことの大変さを慮ってのこともあるでしょう。

それ以上深く聴くことはしませんでしたが、心配するご両親の気持ちを考えると、彼女との別れを承諾する以外、僕には選択肢はありませんでした。本気で彼女を愛していましたが、彼女の未来には、僕との結婚以外にも大きな可能性があることは事実です。
僕は一人の大人として、彼女の本当の幸せを応援するべきだと考えました。彼女がこの先、進学・就職し、様々な経験を重ね成長した時点で、それでも僕と人生をともに歩みたいと願ってくれるなら、その時は喜んで受け入れよう。でも今はその時じゃない。そう、感じたのです。

僕は彼女に伝えました。「もう好きじゃない」と……。

きっと彼女には冷たすぎる言葉に聞こえたでしょう。でも、それくらい強く言わないと、彼女があきらめきれないと思ったのです。

「彼女を傷つけるのは辛いけど、そうするのが彼女のためなんだ」と自分に言い聞かせ、涙を飲んで別れを切り出したのです。
最初は泣きじゃくってゴネていた彼女ですが、ついに最後は諦めてくれました。彼女は僕を恨むでしょう。でもそれは仕方のないこと。「キミのためを思って」なんて優しさを見せたら、気持ちを吹っ切るのが、なおさら辛くなります。

悲しい別れを経験した僕たちですが、幸いその後も友人としての関係を続けることができました。やがて大人になった彼女が人生のパートナーに選んだのは、残念ながら僕ではない別の男性でしたが、今でも彼女とは連絡を取り合う仲です。

実はその後、彼女にあの時の事情を告白したのですが、「絶対ウソ」と言って取り合ってくれませんでした。それだけ僕の演技が真に迫っていたからなのか。それとも僕の人望など初めからなかったからなのか。機会があれば彼女に尋ねてみいと思っています。

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