前年のベテラン大会は、パートナーを組むはずだった伊藤選手の辞退により、ダブルス出場を断念せざるをえませんでした。しかし2008年は、新たなペアを組む相棒が見つかりました。
一般カテゴリー時代からの友人、黒田貴臣君です。彼は僕と同学年ですが早生まれ。そのため昨年はベテラン大会に出場できませんでしたが、ようやく今年、35歳以上のカテゴリーに出場できるようになりました。彼とは過去にダブルスパートナーを組んだことがあったことから、思い切ってベテラン大会に誘ってみたのです。もちろん目標は「全日本ベテランのダブルス優勝」です。
黒田君は、長崎県の海星高校時代にテニスを始めたにもかかわらず、インターハイへの出場を勝ち取ったサウスポーです。
卒業後はその高い運動能力と実績を買われ日本大学へ進学。しかし全国から集まった錚々(そうそう)たるエリートメンバーたちの陰に隠れ、日大テニス部の中では目立たない存在のままで終わってしまいました。しかしテニスの道を諦めることはできず、大学時代の悔しさをエネルギーに変え、卒業後もコーチをしながらさまざま な大会への出場を重ねました。その中で徐々に実力をつけてきた努力家です。
僕も20代前半の頃は肉体労働で遠征費や参加費を稼ぎながら、大会への出場を続けていました。その大会の中で黒田君と出会い、何度も顔を合わせるうちに言葉を交わすようになり、互いの境遇が重なることを知ったのです。それがきっかけで、二人は意気投合する間柄となっていきました。
黒田君は都道府県テニス協会が主催する公式大会だけでなく、スクールなどが主催する非公式大会への出場にも意欲的でした。
こうした非公式大会は「草トーナメント」、通称「草トー」と呼ばれています。
草トーの成績はランキングポイントには反映されませんが、それでも田園、三鷹、軽井沢、山中湖、白子といった有名大会があります。そこで頭角を表した黒田君は「草トー・キング」として注目を集め、テニス雑誌にも取り上げられるようになっていきました。
僕はそんな彼が気になって仕方ありませんでした。羨ましかったのかもしれません。「自分も『草トー』で勝てれば、雑誌に出られるかな?」といった考えが頭を散らつくようになっていったのです。ちょうどそんな折、タイミング良く黒田君から「一緒に『白子』の大会でダブルスを組まない?」と誘いを受けました。もちろん、二つ返事で快諾したのは言うまでもありません。
テニスの町として知られる千葉県の白子町で、毎年6月に行われる「白子テニスフェスティバル」は、約340面ものコートを会場に全国から約2000人の参加者が集まる日本最大級の草トーナメント。シングルスはなくダブルスのみの大会で、土日2日間にわたって男子600ペア、女子400ペアが幅広い年代で競い合います。
この「白子テニスフェスティバル」こそ、僕と黒田君がダブルスパートナーを組んだ最初の大会です。僕たちは2003年の大会で準優勝を修め、翌2004年には念願の初優勝も勝ち取りました。その年に10月には「白子」と並ぶ草トーのビッグイベント、「山中湖チャレンジカップ」にも出場。富士山を横目に真剣勝負が繰り広げられるこの大会でも、僕たちは優勝を果たしたのでした。
この2大会連続優勝により、黒田・佐藤ペアに注目が集まりました。そしてこれがきっかけとなり、僕も念願のテニス雑誌デビューを飾ることができたのです。さらに2009年には、実業之日本社から「テニスダブルスの必勝術」という書籍の監修にも携わらせてもらいました。
このような機会に恵まれたのも、ひとえに黒田君とダブルスを組めたからこそ。ほんと、出会いに感謝です。
さてそんな黒田君と僕のペアが、ベテランカテゴリーの最高峰「全日本ベテランテニス選手権」ダブルス35歳以上クラスへの挑戦を開始します。2008年春のことでした。