日本の硬式テニス大会には「一般」や「ジュニア」と並んで、「ベテラン」というカテゴリーがあります。35歳以上のプレイヤーのみが出場できるカテゴリーです。そしてそのベテランカテゴリーの中でも最高峰の大会とされるのが「全日本ベテランテニス選手権」です。
シングルス・ダブルスとも35歳以上から80歳以上(現在は85歳以上)まで5歳ごとに年齢区分があり、男女別にそれぞれの年代で「日本一」を決めるトーナメントです。国内選手の頂点を決める大会だけに、現役コーチや優勝経験者などの猛者も多く、ハイレベルな戦いが繰り広げられる大会としても知られています。
この「全日本ベテランテニス選手権」に出場するには、日本ランキングで上位に達することが必須条件となります。ランキングは直近1年間のポイント数で決まりますが、ポイントを得るには日本テニス協会が公認するベテラン大会に出場しなくてはなりません。
ポイントを得られる大会は、上からA、B1、B2、C、D、E1・E2、F1・F2のグレード分けがされていて(2007年当時)、グレードの高い大会の方が得られるポイントも多くなります。ただしグレードの高い大会は試合出場人数が決められているため、その時点で上位ランキングの選手が優先的に出場できる仕組みになっています。
2007年、僕は「全日本ベテランテニス選手権」への参戦を目標に、日本各地で開かれる公式ベテラン大会への出場を重ねることにしました。ただしこの年は、ダブルスパートナーの伊藤君が出場を断念せざるを得なくなってしまったため、シングルスのみでの参戦です。
ベテランカテゴリーのポイントがゼロの僕が「全日本ベテラン」に出場するには、とにかくたくさんの大会に出てポイントを獲得することが先決となります。
最初に照準を合わたのが、4月に有明テニスの森公園で開催される「第43回 東京オープンテニス選手権」の35歳以上クラスでした。優勝すれば300ポイントが獲得できるグレードDのトーナメントです。「全日本ベテラン」に出るためにも、ここで勝ってポイントを獲得しておきたい。この大会に懸けていた僕は、身体をベストコンディションに仕上げての挑戦です。
僕は昨年まで一般クラスの選手として戦っていたことから、この大会の優勝候補の一角と目されていました。この年35歳となるためこのクラスで最年少、体力的なアドバンテージもありますから、気合い十分で戦いに挑みました。
この大会、初戦は順当な勝利を収めましたが、続く2回戦では、いきなり第2シードの強豪、横尾厚志選手との対戦となりました。
ここで僕は慣れないハードコートに苦戦することになります。日本では砂入り人工芝のコートが主流ですが、「東京オープン」の会場は屋外ハードコート。反発力が高いため球足が速く、滑りにくいことから動きやすいのが特徴ですが、その分体への負担も大きくなります(現在、有明テニスの森ではハードコートの中でも身体への負担が少ない「デコターフ」に変更されています)。
第1セット、カウント4−1でリードしていた時です。足を踏ん張った際に「プチッ」という断裂音が聞こえました。「なんだろう? こんなに早く足がつるはずがないし……?」。
そのまま試合を続けますが、直後にふくらはぎに強い痛みを覚え、歩くことさえ困難な状態に陥りました。ボールを追いかける度にますます症状はひどくなっていきます。痛みを堪えてゲームを続け、なんとか勝利を獲得しました。
試合が終わると、息も絶え絶えの中で病院に直行します。すると診断結果は「肉離れ」。急ダッシュや急ブレーキで足に負担がかかり、ふくらはぎの筋肉が耐え切れず断裂しまったのです。
足の状態が回復しないまま、迎えた3回戦。相手は石川幸治選手です。テーピングで幾分痛みは和らぎましたが、あくまで応急処置です。医師からは「とにかく踵(かかと)を高く上げるように」とアドバイスを受けており、シューズの中にティッシュペーパーを詰めて踵を高い位置で固定しました。ふくらはぎを捻らないないように、もう片方の足に重心を乗せた不自然な体制での試合展開となりましたが、疲労困憊(ひろうこんぱい)の中なんとか勝利をもぎ取りました。
続く4回戦は準決勝、対戦相手は赤城純二選手。この一戦に勝てば「優勝」はもう目前です。しかし足はもう限界、満身創痍(まんしんそうい)の状態で、本来の力を発揮することは不可能でした。これにより僕のベテラン大会初挑戦は、ベスト4敗退という結果で終わりました。内心では優勝して300ポイント獲得を狙っていたのですが、あと一歩届きませんでした。
それでもベスト4の獲得ポイント108を手に入れられたことは、全日本ベテラン選手権出場を目指す僕にとって、大きな前進となりました。
ところが待てど暮らせど、その108ポイントがランキングに反映されません。痺(しび)れを切らせて日本テニス協会に問い合わせたところ、「佐藤さんはベテラン選手ではなく一般選手として登録されているので、今回はポイントが入りません」と言われてしまいました。
実はベテラン大会でポイントを獲得するためには、ベテラン選手として再度登録手続きを行う必要があったのですが、僕はその仕組みをよく知らずに出場申し込みをしていたのです。
「一般選手の登録料は払っているので、なんとかなりませんか?」と交渉してみましたが、「一般とベテラン、それぞれで登録料をお支払いいただく必要があります」と取り付く島もありません。
「そもそも大会に出場申し込みした時点で、そのことを教えてくれるのが常識ではないですか?」と訴えましたが、「申し込まれたのは出場資格に制限のないオープン大会なので、ベテラン登録していない方でも希望すれば誰でも出場できます」と、これまたつれない対応です。
それでも食い下がると「ポイントとランキングは日本テニス協会の管轄ですが、大会を主催しているのは東京都テニス協会なので、こちらでは関知していませんから…… 」とのお答え。これ以上議論しても埒(らち)が明きそうにありません。
こうなったら不本意ですが、あらためてベテラン選手登録をし、再度登録料も支払って、ゼロポイントから再挑戦するしかありません。あんなに痛くて苦しい思いをして戦って、ベスト4まで勝ち上がったのに、まさかのゼロポイント。ランキングもあいかかわらず圏外のままとは……。全く散々な状態です。
けれどいつまでも凹んでいても仕方がありません。僕は5月に開催される「関東オープンテニス選手権大会」への出場を目指して気持ちを切り替えました。「関東オープン」は、優勝すれば560ポイントがもらえるグレードB2の大会です。
ところでテニスでは、試合出場人数のことをドロー数と言います。「ドロー」と聞くと「引き分け」という意味で使われるのが一般的ですが、引き分けのないテニスでは「組み合わせを決める抽選」や、「抽選でできた組み合わせ」の意味として使われ、組み合わせ表(トーナメント表)も「ドロー表」と呼ぶのが一般的です。
「関東オープン」ではこのドロー数が32、つまり出場枠は32名です。そのため参加希望者が多い場合はポイント上位から決まります。ここで僕はハタと気づきます。「前回ポイントがつかなかった僕はゼロポイントのまま」なのです。そう、出場できないのです。主催者推薦で出場できる「ワイルドカード」の申請もしてみたのですが、これも通らず「関東オープン」出場の道は断たれてしまいました。
「東京オープン」の108ポイントも入らない、「関東オープン」にも出られない。この理不尽な状況に、僕はなんとも悔しい思いをしたのでした。