伊藤君と「全日本テニス選手権」に出場していた30代の頃は、仕事に追われて十分な練習時間をとることができませんでした。
そんな僕にとっては、試合巧者である伊藤君とダブルスを組むことは、それ自体がとても効果的なトレーニングでした。その伊藤君と組んで、よりレベルの高いペアとの対戦を重ねることも、二人のパフォーマンス向上につながっていきました。
彼と一緒にコートに立つ中で、僕はテニスの楽しさを何度も再確認することができました。そして何より、彼と一緒に過ごす時間が好きだった。伊藤君は、僕にとって「最高のパートナー」だったのです。
2006年11月、僕たちは4度目となる「全日本テニス選手権」に出場しました。
1回戦の相手は第1シードの強豪、岩渕聡・松井俊英ペアです。舞台は有明テニスの森公園の全天候型センターコート、「有明コロシアム」。1万人の観客席がある夢の大舞台です。人生で初めて立った憧れの聖地で、スクリーンに自分の名前が表示された時は、感動を抑えることができませんでした。
「僕も34才、もう若くない。こんな場所に立てるのは今回が最初で最後となるだろう」。僕のテニス人生において、まさにクライマックスシーンともいえる一瞬でした。
そして「ここで引退試合を迎えられるなら、僕たちは幸せだな」。そんな思いが胸の奥からこみ上げてきました。実は以前から「35才になったら一般大会は引退して、ベテランカテゴリーで戦おう」と二人で話し合っていたのです。そして翌2007年が、僕たちが35歳を迎える年だったのです。
一人で勝手に感涙にむせる中、試合開始のコールが高らかに宣言されました。
「さあ、気持ちを切り替えて真剣勝負だ」。しかし対戦相手は何度も全日本で優勝経験のある強豪ペア。序盤から完全に主導権を握られ、前後左右に揺さぶられます。結果は6-3・6-2のストレート負け。僕たちだって2年連続ベスト16の戦績を誇る実力派ペアでしたが、あっけなく1回戦敗退となりました。
この人生で一番スポットライトを浴びた(と僕は思っている)試合が、二人にとって「全日本テニス選手権」の引退試合となりました。この年を最後に、僕たちは一般カテゴリーの「全日本テニス選手権」から引退。年齢別カテゴリーの「全日本ベテランテニス選手権」に夢をシフトすることにしました。
「全日本テニス選手権」の出場資格を得るには、ランキング上位に入る必要があります。ランキングを獲得するためには、毎月各地で開催される大会に出てポイントを稼がなくてはなりません。ですが二人とも家庭も持ち、かつ仕事も忙しさを増していました。以前のように、テニスだけに専念できる状況ではないのです。しかしそれでもやはり「もっと上を目指したい」という気持ちを抑えることはできません。そこで僕たちが目指したのが、35歳以上から5歳刻みで85歳以上まで、それぞれシングルスとダブルスが設定されている「全日本ベテラン」だったというわけです。
しかしこの頃から伊藤君の人生が暗転し始めます。
僕たちはベテランのランキングポイントを獲得するため、2007年5月の「関東オープン」男子35歳以上ダブルスに申し込んでいたのですが、直前に伊藤君から電話があり「出られなくなった、ごめん」と告げられたのです。
経営者仲間や一流アスリートとの付き合いに出費が嵩(かさ)む中で、テニススクールが経営不振に陥るなど負の連鎖が続き、試合にも出るゆとりがなくなったとのことでした。
僕は思いました。あの時の「有明の森のセンターコート」の一戦が、二人にとって最後の試合となったのだ、と。