第46話 生徒数激減の危機 | 佐藤政大 公式サイト

自社コートでのスクールを開校したものの、もともと300人だった生徒数は30人まで激減し、経営状態は最悪の状態でした。
同じコートで父が経営する「サトウグリーンテニスクラブ」からも、ジュニアクラスのコーチの委託を受けていましたたが、その人数もわずか30人ほどです。

この時のスタッフは、前述のKさんと杉山君、吉村君、そして同じく元教え子だった松谷恵美子さん。スタッフたちの人件費や会社の経費を賄うには、程遠い収支状況でした。厳しい現実に対して、僕たち5人全員は危機感を共有していました。「このままでは会社が潰れてしまう。とにかくもっと生徒を増やさなくては……」。

まずはチラシを手作りし、あちこちに配りまくりました。A3用紙にA6サイズのチラシ8面分を手書きし、大量にコピー、それぞれ1枚ずつにカットして、飲食店や医療機関などに置かせてもらいました。さらに目を引くように、チラシを拡大したポスターも貼らせてもらうこともありました。とてもシンプルな募集方法でしたが、これが予想以上に効果的で、結構な数の問い合わせがありました。

その頃はまだレッスンのコマ数が少なかったことから、空き時間もたくさんありました。そこで僕と杉山君は、県内の自治体主宰のテニス教室の「派遣コーチ」や、プライベートレッスンでの「出張コーチ」として、依頼があればどこへでも足を運びました。その収入で当面の運営資金を確保するためです。

「派遣コーチ」や「出張コーチ」はとても好評でしたが、指導時間が短いことから教えられる内容も限定的でした。そのため上達意欲のある生徒さんの中から、Vsignのレッスンに切り替える人たちも出てきました。Vsignの自社コートならもっと長時間の指導を受けられるだけでなく、レッスン終了後に自主練ができるのもプラス要因となりました。

そのほかにも相手の希望する時間に応じて、1〜2人の少人数からでもクラスを開設するなどきめ細かな対応を心がけることで、少しずつ生徒が増えていきました。そして開校から1年ほどで、目標としていた120人まで生徒数が増やすことができたのです。

この120人というのが、ぎりぎり収支がバランスする生徒数でした。Tスポーツクラブ時代の300人よりは少数ですが、クラブに支払う中間マージンがない分、ペイラインが釣り合ったのです。

ここで一度、僕たちのスクールとクラブについて整理しておきたいと思います。もともと「Vsign」は、スクールでの指導、およびコーチ派遣が事業の主体でしたが、2005年に「宇都宮グリーンテニスクラブ」の施設を買い取った際に、そこに所属していたクラブ員さんたちも引き継いだ経緯がありました。そのため僕たちの組織は、テニススクールの「Vsign」と、会員制テニスクラブの「サトウグリーンテニスクラブ」という、2つの事業体から成り立っています。

テニススクールと会員制テニスクラブの違いについても説明が必要ですね。スクールは決まった曜日や時間帯にレッスンがあり(学校の時間割のイメージです)、そこでコーチによる指導が行われます。スクールは文字通り、“テニス上達のためのレッスン”が受けられる学校・教室のような場所です。月会費を払うことで、レッスンという形で定期的にテニスを学ぶのが目的です。

それに対しテニスクラブは、自分のライフスタイルに合わせて好きな時間に行ってプレーを楽しむための施設です。クラブは会員にレッスンを提供するのではなく、“コートや施設などテニスをする場”を提供するのがメインになるため、会員同士でプレーするのが中心となります。

ところで先ほど「サトウグリーンテニスクラブから、ジュニアクラスのコーチの委託を受けている」と書きました。一般的にテニスはお金のかかるスポーツだといわれています。ですが僕たちは、家庭の経済状況に関わらず、“全ての子供たちが好きなだけテニスを学べる環境”を整えたいと考え、ジュニアクラスは「クラブ」制を採用しつつ、サトウグリーンテニスクラブがVsignに委託する形態で「スクール」的な指導も取り入れているというわけです。

新スクールの開校にあたっては、別の課題も抱えていました。僕たちにはフロント業務のノウハウがなかったのです。というのも、それまではTスポーツクラブのスタッフがフロントを担当していたからです。

そこで僕たちはまず、フロントの体制づくりから始めることにしました。スタッフ全員、誰一人として全く経験のない業務内容のため、完全な探り状態の中でしたが、外部の社会人研修制度などを利用して受付事務や電話対応の基礎を学び、現場に取り入れて行ったのです。

そのような中で大切にしたのは、「親切」「わかりやすい」「自分がされて嫌な対応はしない」の三原則です。というのも、当時のクラブやスクールは「テニスをやりたい人や習いたい人が、自分から願い求めて入会する場所」だったからです。運営側も「お客様」ではなく「生徒」という扱いで、その対応もどちらかというと「教えてあげる」といった感覚でした。高飛車だったといっても良いかもしれません。

けれど僕たちはそのような業界の風土に疑問を感じ、一人ひとりに寄り添う「顧客視点での経営」を目標に掲げることにしたのです。今では当たり前のことですが、当時の県内のテニススクールでは前例のない試みだったと思います。

そういった考えに至ったのは、全国各地の遠征試合に出かけた際の経験からです。都市部のクラブやスクールを中心に「お客様を受け入れる体制」が整っている組織は、総じて経営もうまくいっている印象を受けたのです。しかしそういった組織風土を持つ施設は、まだまだほんの一部のみでした。そこで僕たちは「顧客サービス」の視点を大切にするスクールとして、栃木県内の先駆けになろうと考えたのです。

ですが僕にとってもスタッフにとっても、それは簡単なことではありませんでした。これまでの常識にとらわれた対応をしてしまい、反省する日々が続きました。そのたびに「相手の立場になって考えよう」と自分たちに言い聞かせ、できるだけ親切な対応を心がけていくうちに、徐々にその思考方法が身につくようになっていったのです。

振り返ってみると、若い頃は生意気で反抗的で「頭を下げる」ことを知らなかった僕が、自然と柔らかな対応ができるようにったのですから、自分でも驚きです。当時はスタッフの生活がかかっていたので、僕もとにかく必死だったんですね。

正直なところ、Tスポーツクラブ時代は「売れっ子コーチ」として調子に乗っていたところがありました。生徒さんを「お客様」というより「自分のファン」だと勘違いしていた面もあったと思います。今では深く反省している次第です。

この「相手の立場になって考える」思考法は、対人スポーツとしてのテニスにもおいても、ゲームを有利に運ぶメリットにつながっていると感じています。相手が何を考えているかを意識することで、次の動きを推測し、有効な対応が取りやすくなるのです。

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