第30話 恋愛体質 | 佐藤政大 公式サイト

小学生の頃から東京や横浜に多くの友人を持ち、オシャレで遊び慣れた彼らと行動をともにしていたけれど、中学を卒業するまで女の子と交際したことはありませんでした。

それまでも何度か好意を抱いた女子はいたのですが、恋愛関係には発展しませんでした。正直なところ、頭の中はテニスなんかよりも女の子のことでいっぱいだったのに、どうやって女子との距離を詰めて良いのかさえわからなかったのです。

しかしそんな不甲斐ない僕にチャンスをもたらしてくれたのは、またしてもテニスでした。前にも話した通り、僕は高校1年の夏にインターハイの予選で優勝し、シングルスの県代表としての出場権を獲得します。そしてその勢いに乗って、ダブルスの試合でも「優勝を勝ち取ってやる!」と意気込んでいたのです。

ですが現実はそう甘いものではありません。より緻密な戦略と息の合ったチームワークが必要とされるダブルスの試合。まして相手は3年生ペアですから、1年生にしていは実力があるとはいえ、スタンドプレー主体の僕のテニスでは歯が立たなかったのです。

鼻息荒くコートに飛び出していったものの、「敗北」という厳しい現実を突きつけられた僕はガックリと肩を落としました。そして失意のままコートの向こう側の桜の木の下で座り込んでいたのです。けれど人生は捨てたものではありません。そんな僕を可哀想に思ったのでしょうか、恋の女神が優しく微笑んだのです。いえ、僕に微笑みをかけてくれたのは恋の女神ではなく、県立の進学校に在学する3年生の女子生徒でした。

「どうしたの?」と声を掛けてきた彼女を見上げ、そのやさしい笑顔が目に入った瞬間、「ダレだ?このオンナ?」と思ったと同時に、何かが僕の心の中でざわめきました。それは春の訪れを告げる温かな南風のようでもあり、夏の嵐の前に吹き抜ける神立のようにも感じられました。女っ気のない生活を送っていた自分に、女子が声をかけてくれたことが嬉しくてたまらなかったのでしょう。舞い上がってしまった僕は、一瞬で恋に落ちてしまったのです。

それまで女の子に対して積極的ではなかったのに、なぜだかその時の僕は自ら進んで自分の電話番号をも伝え、そして彼女にも電話番号を教えてもらうという、大胆な行動に出ました。

彼女の名前はA子さん。2つ年上の3年生で、15歳の僕にとっては大人の女性です。同年代の女子よりも包容力があるので、格好をつけず素直に気持ちをぶつけられたかもしれません。
そして彼女も、僕が年下だったからこそ、身構えることなく自然に番号を教えてくれたのでしょう。

当時はまだ携帯電話はおろか、ポケットベルさえない時代。彼女と連絡を取るには自宅に電話しなくてはなりません。しかし一度火が着いてしまった恋愛感情は止められず、勇気を振り絞って彼女の家のダイヤルまわすのでした。すると電話口に出るのはいつも決まって彼女のお母さんです。

恥ずかしさと気まずさでドギマギする気持ちを抑えながら、「佐藤と申しますが、A子さんはいらっしゃいますか」と真面目な口調で挨拶し、A子さんに繋いでもらいます。どのくらい真面目かと言えば、僕は生まれてから一番といってもいいくらいの真面目さです。これほど一生懸命になって、礼儀作法を学んだことはありませんでした。

そんな不器用なアタックを何度か繰り返すうちに、ついに僕たちは晴れて交際をすることになったのです。彼女への呼び方も「A子さん」「A子ちゃん」そして「A子」へと変わっていきました。彼女は僕にとって初めての“恋人”でした。
それからの毎日は、今までの人生の中で最も幸せな日々となりました。ただでさえ頭の中は女子のことでいっぱいだったのに、まして彼女ができたのですから。僕の心はA子ちゃんへの想いでパンクしそうでした。

彼女への気持ちをあふれそうなほどに抱えていた、2学期のある日のこと。僕は部活の帰りに立ち寄ったショップで、あるモノを見つけます。それは、ハートをモチーフにした18金のネックレスでした。キュートで清楚なデザインはA子ちゃんにピッタリ。そして僕は心に決めたのです。「このネックレスを彼女の誕生日に贈ろう!」と。

一度決めてしまえば即行動に移すのは、父親ゆずりの長所かもしれません。父のテニススクールの前にはシクラメンを栽培している温室があるのですが、僕は早速、その温室にのオーナーにお願いして、出荷の手伝いをさせてもらうことにしました。時給は500円。ネックレスは2万円でしたから、毎朝2時間のアルバイトで20日間ほど働けばまかなえる計算です。それなら何とかA子ちゃんの誕生日には間に合いそうです。

10月も半ばを過ぎた彼女の誕生日、僕は自分で稼いだお金でネックレス買って、プレゼントとして贈りました。家族以外の女性にプレゼントを贈ったのは初めてのことでした。1年に1度の大切な日に、サプライズプレゼントをもらった彼女は「いつも身に付けられるから、ずっと一緒にいるみたい」と、とても喜んでくれました。僕はこの時、「これから先もずっとこの人と一緒に生きていくんだろうな」などと甘い世界にどっぷりと浸りきっていました。

しかし実際のところ、彼女の方はそうでもなかったようです。彼女が卒業し、大学へ進学してからしばらく経った頃、「私のことなんかよりも、もっとテニスに打ち込んでほしい」と告げられました。

僕はあっけなくフラれたのです。あの甘くやさしい日々は何だったんだろう。僕は何度も自問自答しましたが、答えは見つかりませんでした。彼女はこうも言っていました。「私のことを想ってくれるのはとっても嬉しいけど、その想いが強いほど苦しくもあったの」と。

これは僕の想像ですが、卒業・進学という新たな世界へと踏み出した彼女と、今までと同じテニスの道を目指していく僕とでは、そもそも次のステップに進むのが難しかったのかもしれません。2歳違いの彼女と僕は、付き合い始めたその時点から、彼女の卒業とと同時に、分岐点に直面することは予め決まっていたことです。彼女は僕よりも先に、そのことに気付いていたのでしょう。
いずれ別々の道を歩まなくてはならないのに、ギリギリまで一緒に過ごすことを選んでしまっては、最後の別れの瞬間が耐えられないほど辛いものになってしまう。そう考えたに違いありません。

愛し合っていた事実があるゆえに、別れを切り出された当時は「世界が終わった」かのような感覚に襲われたのも事実だけど、今となってはA子ちゃんの辛い決断も理解できるのです。

しかし一度この恋愛の魅力にハマってしまった僕は、もう彼女無しでは生きられない男になっていました。彼女なしで過ごす日々を重ねる中、「このままではいけない」と焦るばかりでした。テニスに専念するどころではなく、むしろテニスも手につかないほどです。

僕は「愛」が欲しかったのです。いつも僕をやさしく見守ってくれた母を失い、僕の周囲にいるのは厳しすぎる父と、高圧的な大人、理不尽な先輩と殺気立つ仲間たち。荒(すさ)んだ人間関係の中に生きる僕は、無意識のうちに「愛」を求めていました。僕はテニス以外の場所に、心の休まる場所を探していたのです。

そんなある日、カサカサに乾ききった心を潤してくれる女性が、僕の前に現れました。いいえ、本当はもっと前から出会っていたのですが、僕がその存在に気がつかなかったのです。

彼女と初めて出会ったのは近所の美容室した。東京や横浜のテニス仲間とのつきあいの中で色気付いてきた僕は、近所の美容室に通っていたのですが、そこでスタッッフとして勤務していたのが1歳年上のR子ちゃんです。お母さんと2人暮らしで、中学を出てからは高校へは行かずに美容学校に進学。卒業後にこの店に就職して、18歳で美容師となったのです。

失恋を経験し、心がクリアになった状態で彼女に会ったとき、彼女に惹かれていることに気付きました。苦しい状況の中でも前向きに生きる彼女に、共感を覚えたのかもしれません。2人の距離は自然と縮まり、僕は彼女の家に遊びに行く仲となりました。そしていつの間にか、何となく付き合うようになったのです。R子ちゃんのお母さんも、いつも僕の話をやさしい笑顔で聴いてくたり、僕のことをとても可愛がってくれました。幼くして母を亡くした僕にとって、R子宅はとても居心地の良い場所となっていったのです。あれ、この展開、何となく父と母が出会ったシチュエーションと似ていますね(笑)。

まあそれはともかく、R子ちゃんは同世代の女の子とはちょっと違う、どこか危険でエキサイティングな雰囲気を持った女性でした。僕は彼女との交際を通じ、「イケナイ」ことも含め様々な体験を重ねました。バイク、夜遊び、大人の恋愛。僕にとって彼女は、いろいろな世界を見せてくれた女性なのです。

付き合い始めた頃、彼女と過ごす時間はとても穏やかで、心安らぐものでした。しかしそれは徐々に変化していきました。関係が長くなるに連れ、彼女の友人知人との交遊も深くなっていったのですが、彼女のコミュニティーに属する人種はヤンチャ系が多く、僕の心も次第にギスギスとした方向に引っ張られるようになっていったのです。結局R子ちゃんとは何となく付き合った末、何となく別れたのでした。2年生の終わり頃のことでした。何で別れたのか、その理由すら思い出すことができません。

3年生になると、また別の人と付き合うようになりました。この頃の僕は、学年が変わる度に付き合う相手が変わっていたのです。好きな女性との別れに耐えきれず、またすぐに別の誰かを求めてしまう。まるで恋愛依存体質ともいえる状態でした。それはきっと、幼い頃から愛されている自信がなかったことの裏返しだったに違いありません。僕にとって愛情を実感できる唯一の方法が、女性に愛してもらうことだったんです。わがままな欲求かもしれませんが、そんな僕を受け入れてもらえることこそが、真実の愛情だと思い込むようになっていたのです、

新しい彼女、Yちゃんは宇都宮学園の姉妹校のテニス部員で、僕と同じ3年生でした。僕たちのテニスコートは系列大学のキャンパス内にあり、両校のテニス部員は毎日そこへ練習で通っていたのです。そんな訳で、Yちゃんは1年生の頃からの顔見知りでした。宇都宮学園は男子校、Yちゃんの高校は女子校だったこともあり、もともとは男女数名のグループで遊んでいましたが、彼女の身の上相談に乗ったことがきっかけとなり、僕とYちゃんの関係は徐々に親密になっていっていったのです。

彼女の家庭もまた、複雑な事情を抱えていました。両親は離婚しており、Yちゃんは父親と暮らしていました。父親には外国人の愛人がいるらしく、家を空けることも多かったといいます。父親はいつも夜遅くまで出かけており、時には一晩中帰らないこともあったとか。そして彼女はポツンと語ったのです。「そんな家に、1人でいるのが怖いんだ……」と。それを聞いた僕は、即座に「じゃ、俺んちに来れば?」と返していました。「え?」といぶかしがる彼女に、「うちで暮らせばいいじゃん。ずっと一緒にいられるし。事情を話せば俺の父親もわかってくれるから」と僕。すると彼女もその言葉に安心したようで「本当にいいの?」と言いながらも、すこし嬉しそうです。

本当ところ、父が許可してくれる確信があったわけではありません。でも僕は早速その日のうちにYちゃんを自宅に連れて行き、一緒に暮らすことにしました。その夜、父が仕事から帰ってくると、僕はすぐにこう伝えました。「俺の彼女のYちゃん。今日から一緒にここに住むから」と。すると父が「先方のご家族は知っているのか?」と尋ねたので、僕は「うん、大丈夫」と応えました。

実はYちゃんは、僕の妹の“久美子の家”に泊まると親に伝えて、外泊許可をもらっていたのです。

父は先方の親御さんが了承していることを確認すると、特段気に留める様子もなく「あ、そう。それなら良い」と言って自室へ入ってしまいました。後で父にあらためて確認したところ、「外で悪いことするよりは、家に居る方が安心だから」との見解だったそうです。そんな訳で、高校生ながら実家で彼女と同居、という奇妙な共同生活が始まったのです。

3年生で応援団の団長となったT君の彼女は、偶然にもYちゃんの友達でした。僕らはよく4人で一緒に遊んでいましたが、楽しい季節はあっという間に過ぎていきました。そして気がつけば、暦はすでに3月となり、僕たちは卒業式を迎えます。

宇都宮学園は当時、県下でも一二を争うほど気合いの入った生徒が多い高校でしたから、教師からの指導も厳しいものでした。卒業式が終わるまではそれなりにおとなしくしていた生徒たちでしたが、式が終わって校門を出た瞬間から、彼らは自由の身です。厳格な校則への当てつけのように、どこからともなくタバコを取り出しては、正門の前でぷかぷかと煙を吐き出す者も数多くいました。

僕らもそんなガラの悪い連中にもまれながら校門を出たのですが、そこには「竹槍マフラー」に「デッパスポイラー」のヤンキー仕様車がズラリと並んでいました。その中にはT君の彼女のクルマもありました。彼女の高校はすでに卒業式を終えており、この日のために改造した愛車に乗って、僕らを迎えに来てくれていたのです。もちろん、Yちゃんも一緒です。

僕たち4人はそのまま違法改造車に乗り込み宇都宮市内をドライブしました。目的地は当時の僕たちには敷居の高かった「オシャレなサ店」、つまり喫茶店です。すっかり一端の大人気分で意気揚々と入店した僕たちでしたが、T君が財布を失くしてしまって大騒ぎ。すっかり余裕を失ってしまい、逃げるように店を出たのでした。

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