それまでの父との関係から、大人はみな敵であるとして認識していた僕は、当然ながら教師に対しても反抗的でした。担任の先生が僕のためを思って叱ってくれても、僕はそれを素直に受け止めることができず、対決姿勢むき出し。訳もなく攻撃的で、それでいて諦めに満ちている。そんな屈折した少年でした。
放課後や夏休みはテニス漬けだったため、勉強にもだんだん付いていけなくなり、学校にいることが辛くなっていきました。授業中、ちょっとした問題に答えられなかっただけでスネてしまい、早退するようになりました。そしてやがては登校さえしなくなっていたのです。
僕はどんどん自己肯定感を失っていきます。誰にも愛されていない、頭も良くない、お金もない……。僕だけが周囲と違う世界に生きているような感覚でした。「なんでこうなってしまったんだ。俺のせいじゃない、大人たちのせいだ!」。心の中はいつも独りぼっちでした。客観的に見れば、ちっとも孤立などしていなかったのかもしれませんが、あの頃の荒んだ僕は、1人勝手に孤立感で心をいっぱいにしていたのです。そして自分の中で膨れ上がった劣等感をひた隠しにするため、大人たちに反抗的な態度をとるようになったのです。
大人たちには反抗的な僕でしたが、怖い先輩たちにはそんな態度はとれませんでした。親や教師の場合、どんなに激しく抵抗したとしても、受ける制裁は常識的な範囲で収まります。しかしヤンキーたちに反抗した場合はそうはいきません。理性よりも感情が上回ってしまう世代ですから、抵抗すればするほどひどい結果を呼ぶことは目に見えています。
半殺しくらいならまだ良い方で、下手をすると本当に命の危険を感じるほどです。それくらい歯止めが利かない連中なのです。それに彼らは「卑怯」という概念が希薄です。大人数で体の小さな下級生をいたぶったとしても、良心の呵責に苛まれることはありません。ですから僕は、彼らの前では不本意ながらも従順にならざるを得なかったのです。それは仕方のなかったことかもしれません。
けれど、そういった理不尽さに出会う度に、僕の心は小さなダメージを蓄積していきました。弱くて情けない自分が許せないのに、そんな自分を見て見ぬ振りをする“もう1人の自分”がいたのです。僕は、自分がいたたまれなかったのかもしれません。そんな傷を溜め込んだ僕はの心はやがて、手がつけられないほど荒れ狂うようになっていくのです。
成長期を迎え、体が大きくなる度に、えぐるような目つきで相手を見るようになりました。いつも、折れたナイフのような心を忍ばせていました。そして過去の鬱憤を晴らすかのように、ちょっとした不満に対しても敵意むき出しで突っかかるようになっていったのです。
こんな僕にも、唯一心を許せる仲間がいました。同級生の荒川君です。
荒川君は仲間たちと群れることを好まない一匹狼タイプの「不良」で、いわゆる「ツッパリ」からも一目置かれるような少年でした。彼もまた、決して裕福ではない家庭に育ち、孤独感を感じて生きてました。
僕ら二人は不思議と気が合いました。長いものに撒かれることを良しとしない荒川君は、たとえ相手が自分よりも強かったとしても媚び諂うことはしません。信念が強いんですね。
そんな彼は、ある夏祭りの晩に高校生とケンカをし、腕を骨折したことがありました。僕は夏休みのテニス合宿に参加していたため、その場にはいなかったのですが、休みが明けて登校すると、彼の腕に包帯が巻かれていました。どうしたのかと心配して尋ねると、ケンカをしたと言うのですが、しかしどう見ても病院で処置してもらった様子はありません。結局彼はそのまま病院に行かず、自然に骨が繋がるのを待ち続けました。そのため彼の腕は今でも曲がったままです。
やがて中学を卒業し、荒川君とは別々の高校に進むことになります。高校生になった彼は、50ccのバイクにタンデムシートを取り付け、セクシーなキャラクターのペイントが印象的な、自称「ベティ号」を乗り回すなど、その個性的なセンスで話題にことかかない人物となっていきました。
バイクの魅力にどっぷりとハマった彼でしたが、どんなに悪友たちに誘われても、決して暴走族に参加することはありませんでした。「群れるのは嫌い」を信条としていたのです。その後、荒川君は自ら「レーシングチーム」を立ち上げます。レーシングチームといっても、サーキットや峠で走りを極めるの「走り屋」ではありません。荒川君が目指したのは、当時人気のコミック「湘南爆走族」をリスペクトした、純粋に「暴走」を目的とするチームでした。
当時の暴走族はグループ間の抗争や警察との対立などの「暴力」が活動の主軸となっていましたし、上下関係のしきたりやチームのルールに縛られることも常でしたから、何より自由を愛する“無頼派(ぶらいは)”の彼には合わなかったのでしょう。メンバーそれぞれが自分らしくいられる少人数のチームの中で、彼は主導的な役割を果たすようになっていきます。
高校を卒業すると、荒川君は19歳で彼女との間に子供を授かります。今で言う「デキ婚」でした。披露宴で友人代表スピーチを仰せつかった僕は、頭が真っ白になるほどの緊張の中、生まれて初めての大役を何とか果たしました。テニスの試合は何度も経験してきましたが、人前で話すというのは、全く次元の異なるプレッシャーがあるものなんですね。
今となっては、それも良い思い出です。