6月を迎える頃になっても、いまだランキングポイントはゼロのまま。このままでは「全日本ベテランテニス選手権」に出場できないかもしれません。
周囲には平静を装っていた僕でしたが、内心ではかなり焦っていました。
この時点で申し込みが間に合う大会で、かつ「全日本ベテラン」のエントリー期限の9月3日までにポイントが獲得できるのは、8月13日から19日にかけて東京で開催される「毎日テニストーナメント」と、翌週20日から兵庫県で行われる「関西オープンテニス選手権」の2大会しかありません。
ですがこの2大会が開催される時期は、ちょうど夏休みに当たる期間です。
ジュニアの大会も多いため、教え子たちの指導や引率に注力すべき時期でもあるのです。
できればこの時期の大会出場は避けたいのが本音でした。だからこそ「東京オープン」と「関東オープン」でポイントを獲得し、早い時期に「全日本ベテラン」への出場を確実にしておきたかったのです。
それに「毎日テニストーナメント」と「関西オープン」の2大会だけでは、全日本ベテラン出場に必要なポイントを獲得できる可能性は高くありません。まして教え子のレッスンを差し置いて、自分の試合を優先することは心苦しくもありました。そのため「今年の出場はもう諦めてしまおうか……」という気持ちも芽生え始めていました。
そんな僕の背中を押してくれたのは、なんと教え子たち。そして保護者、そしてスタッフたちも同様でした。めげかけていた僕の心を知ってか知らずか「コーチ、ぜひ大会に出て頑張ってきてください!」と応援をしてくれたのです。その言葉に「勝てるかわからないが、チャンスはあるかもしれない」と考えをあらためさせられ、残された可能性にすべてを懸けることにしたのです。
「毎日テニストーナメント」と「関西オープン」、2週続けての大会出場となると、体力的にかなり厳しくなります。しかし
形振り(なりふり)を構っている余裕はありません。僕はすぐさま両大会のエントリー手続きを行いました。8月13日、「毎日テニストーナメント」が行われる東京の舎人公園に向かいます。「毎日テニストーナメント」は、通称「毎トー」の愛称で親しまれ、例年10~90代の約4000人が熱戦を展開する日本で最も伝統ある公式テニス大会です。
誰でも出場できるフリーエントリー制を採用しているため、35歳以上のドロー数は128にも達します。優勝するには7試合を勝ち上がらなくてはなりません。
昨年まで一般カテゴリーで戦っていたとはいえ、ベテランポイントゼロの僕はノーシードからの挑戦。ですから初心にかえり、初戦から慎重に戦いを進めていくことにしました。
トーナメントで対戦を重ねる中で特に戸惑いを感じたのが、一般とベテランの戦い方の違いです。一般は「攻め」の試合展開が多く、リスクを取る代償として自分と対戦相手の双方ともミスがつきものですが、ベテランは自分のミスを防いで相手のミスを誘う「守り」の試合展開。決め急がず丁寧にボールをコートに返すタイプの選手が大半でした。全く違う戦い方に対応するために、僕はこれまでの一般大会で培ってきた自分のプレースタイルに対して修正を余儀なくされたのです。
ベテランゲームで大切なのは、力技でねじ伏せるのではなく、相手のスタイルを見極め頭脳プレーで攻めること。これに気がついてからは、一戦一戦着実な戦いを心がけました。そしてなんとか念願の「優勝」を果たしたのです。優勝ポイント420点も手に入り、「全日本ベテラン」出場に向けて弾みをつけたることができました。
8月19日の「毎トー」終了後、すぐにその足で「関西オープン」が行われる兵庫県へと向かいました。7連戦の直後で疲労困憊(ひろうこんぱい)でしたが、幸いにも35歳以上の試合は22日が初日。2日休めればいくらか体力もリカバリーできそうです。
西日本の選手が多い「関西オープンテニス選手権大会」は、完全アウェイの雰囲気でした。あまり知られていない僕は「よそ者」的な存在です。出場しているのは、これまで対戦したことのないプレーヤーがほとんど。ですから相手選手の戦績や傾向などのデータがなく、事前の分析や十分な対策もできません。
とはいえ、ベテラン特有の戦い方のリズムを掴(つか)んだこと、直前の「毎トー」の優勝で「全日本ベテラン」が視野に入ったことで安心感もありました。
ですが前年の「全日本ベテラン」優勝者が第1シードで出場しているこの大会、楽観は禁物です。僕は緊張感を持って戦いに挑みました。
1回戦の相手は第5-第8シードの中本選手。サーブが早く、初戦ながら「敗け」を意識した苦しい戦いとなりましたが、かろうじて死闘を制することができました。しかし出場選手は関西の強豪ぞろい。その後も苦戦に次ぐ苦戦の連続でした。それでも綿密な戦術が相手の技術を上回り、奇跡的にこの対価でも「優勝」を果たすことができました。そして優勝ポイント560点の獲得にも成功したのです。
これでどうにか「全日本ベテラン」 への出場が叶(かな)いそうです。