第16話 さらに強くなったコンプレックス | 佐藤政大 公式サイト

父がなけなしの貯金を叩いて行かせてくれたアメリカ遠征。それは僕にとって、一生の宝物となる大きな経験でした。そしてその後、中学生になった僕は「いつの日かまた、海外遠征に出かけたい」という想いを強く胸に刻むようになっていきました。

しかし現実はそう甘くはありません。どんなに行きたくても、まだ中学生になったばかりの僕には、どうすることもできなかったのです。再び海外に行くには、父を頼るほかはありませんでしたが、父に借りを作るのも嫌でしたし、何より我が家にはそんな余裕がないことも理解していました。ですから、口が裂けても言い出すことはしませんでした。

やがて僕は「貧乏」という十字架を、心の中にひとり背負い込んでいくようになっていくのでした…。

 

小学生の頃は、ジュニアのテニス仲間たちとの経済的な格差は、それほどは気になりませんでした。しかし中学校に入ると、僕らの気持ちの間に、わずかな行き違いが生まれるようになりました。なぜなら成長するに連れ、遊び方も出費が伴うものへと変化していったからです。

それまではせいぜいゲームセンターなどで小銭を費やす程度でしたが、中学生なると渋谷のプールバーへ通ったり、ギターなどの楽器を買ったりと、お金が掛かる遊びが多くなったのです。裕福な家庭に生まれ、都会的なセンスを持ち合わせた彼らは遊び方もスタイリッシュ。中学生ながら、まるで大学生のようなライフスタイルを誇っていました。

遊びだけではなく、テニスの場においても大きな変化がありました。思春期になった彼らは、流行のウエアに身を包むようになったのです。もちろん、ラケットやシューズ、バッグなどの用具も、最新のものを揃えています。

すべてに恵まれた仲間たちを前に、僕は超えることのできないギャップを感じ始めていました。それは、僕にはどうすることもできない理不尽さであり、失望感でした。そしてそのギャップは、日に日に大きくなっていきました。それでも僕は、彼らと行動を共にすることを望みました。「無理をしてでも一緒にいなければ、僕だけが置いていかれる」そう感じていたのです。出口のない闇の中で、僕は人知れず孤独と屈辱を味わっていたのです。もっと裕福な家に生まれていれば。せめて母が行きていてくれたら。その時の僕は、「何で自分ばかりこんな辛い目にあわなくてはいけないんだ」と、行き場のない憤りを内に秘めていたのです。

桜田倶楽部に所属する2歳年上の先輩、渡邊哲さんと親しくなったのは、ちょうどその頃でした。群馬県出身の先輩は、僕と同じ北関東出身ということもあり、田舎者コンプレックスを感じずに済む相手でした。また、渡邊さんも父親を亡くしており、経済的にも苦労されていることも、僕と事情が重なっていました。お互い似たような境遇に置かれ者同士ということもあり、渡邊さんと僕の距離は自然と縮まっていきました。先輩はかつて、神奈川県にあった全寮制の国際プロテニス選手養成学校「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー 日本校」に入学するほどの実力を持つ、トップジュニアアスリートでした。しかし不慮の事故により、ある日突然にお父さんを亡くしてしまったのだそうです。その後ニック・ボロテリーが日本から撤退したため、渡邊さんは桜田倶楽部に移籍します。そのため学校の寄宿舎も出なくてはなりませんでしたが、実家には戻らず倶楽部のある東京都調布市の深大寺近くにアパートを借り、妹と二人で暮らしていたのです。一方でその当時僕は、大会期間中であっても都内には宿泊せず、試合の度に日帰りで宇都宮から通っていました。というのも、宿代を節約する必要があったからです。兄貴肌の渡邊先輩はそんな僕を見て不憫に思ったのでしょう、「お前、今度からうちに泊まって行きなよ」と声を掛けてくれたのです。同年代の裕福な友達の家に泊めてもらうことに引け目を感じ始めていた僕にとっては、願ってもないオファーでしたから、僕は早速その好意に甘えさせてもらうことに。とはいえ子供だけの所帯ですから、生活時間の管理ができません。試合に遅れないように前泊したにも関わらず、結局寝坊して試合に出られないということも少なくありませんでした。やがて当然の流れとして、次第に渡邊さんの部屋はテニス仲間の溜まり場と化していきました。前にも書いたように、僕たちの仲間はみな大人びていましたし、海外経験も豊富。怖いもの知らずで向こう見ずな彼らは、あえて危険に挑むような一面を隠し持っていました。そんな彼らが先輩の家に集まると、夜ごと出かけていったのがコンビニエンスストアです。でもそれは、買い物のためではありません。店の前でたむろするヤンキー高校生達にちょっかいを出し、おちょくりながら逃げ回る、というスリリングな遊戯に夢中になっていたのです。いくらテニス選手で運動能力が高いとはいえ、相手は高校生。もし捕まったら、無事では済まないことは火を見るよりも明らか。でもだからこそ、みんな取り付かれたように危険な遊びを繰り返したのです。端から見ると何不自由なく暮らしている御曹司ばかりでしたが、それぞれ人には言えない不安を心に抱えていたのかも知れません。そして、その不安から忘れようとみな必至だったのかもしれません。
ところで渡邊先輩は現在、郷里の群馬県に戻り、僕と同様にテニススクールの代表として活躍されています。全日本ベテランテニス選手権では40歳以上のクラスで僕とダブルスを組み、2年連続優勝を勝ち取るなど、今でも変わらず仲良くさせていただいています。

 

 

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