2010年の「全日本ベテラン」では、ダブルスでは王者への返り咲きを果たした一方、シングルスでは過去最低のベスト8止まりでした。10月に39歳を迎える2011年は、35歳以上のカテゴリーに出場できる最後の年です。それだけに、今年こそはダブルス・シングルスともに“日本一”を勝ち取りたいと、心から願っていました。
しかしそんな希望を打ち砕く大変な出来事が起こりました。3月11日に発生した「東日本大震災」です。地元の宇都宮でも震度6強を観測し、全壊9棟、半壊242棟などの多大な影響を被(こうむ)りました。
被害はスクールにも及び、コートや施設も損傷。計画停電によるレッスン数の縮小や、自治体主催のテニス教室の中止などにより、経営状況が急激に悪化していきました。そのような状況の中では、とても大会にする余裕などありませんでした。
大会で上位入賞しないとポイントが入りませんから、ベテランランキングも下がってしまいます。このままいくと「全日本ベテラン」の出場資格は得られそうもありません。残念ですが「今年の出場は諦めるしかなさそうだな……」。僕はそう自分に言い聞かせ、2011年は震災被害からの立ち上がるためだけに専念することにしました。
ところが蓋を開けてみると、予想もしなかった幸運に恵まれたのです。
地方大会の出場がわずかだったにもかかわらず、ランキングが32位内に踏みとどまっており、かろうじて「全日本ベテラン」の出場資格を得ることができたのです。スクールのジュニア生やスタッフかたちらも背中を押された僕は、今年も名古屋の東山公園のコートに立つことを決意しました。しかしこの年は震災対応に追われてばかりで、完全に練習不足。勝利への道のりは、かなり険しいことは明らかでした。
ノーシードで出場したシングルスのトーナメント。初戦は、片山英司選手との対戦となりました。第1セットは3-6で落としましたが、第2セットは混戦に持ち込み、タイブレークの末に7-6(4)と反撃。試合を振り出しに戻します。しかし第3セットは再び6-4と取り返され、初勝を挙げることができませんでした。そう、まさかの1回戦敗退です。
ダブルストーナメントは、この年も道田選手とパートナーを組んでの出場です。幸いにもダブルスでは第3・4シードを獲得。1回戦は同じ栃木を地元とするダブルス巧者、関宏隆・藤沼善紀ペアとの対戦です。第1セットから7-6(4)のタイブレークとなりましたが、第2セットは6-1で振り切り、次戦へと駒を進めます。
2回戦は6-4、6-2で快勝、準決勝となる3回戦は、第1シードを破って勝ち上がった大越崇典・武智邦彦ペアとの顔合わせです。この試合、第1セットは4-6で落としましたが、不調の僕を道田君がカバーしてくれたおかげで第2セットを6-1と挽回、第3セットも6-0で下し、ファイナル進出を決めました。
優勝をかけた決勝戦は、4年連続の対戦となる右近貴志・綿谷義樹ペア。まさに「因縁の対決」です。右近・綿谷ペアは、準決勝で盟友の黒田・高橋ペアを破っての決勝進出を果たしており、仲間の雪辱ためにも是が非でもリベンジを果たしたい相手です。
その気持ちを込めて第1セットから攻勢をかけ、まずは6-4で先取。しかし第2セットを3-6で取り返され、第3セットも力及ばす4-6で落とし、健闘むなしく敗退が確定。2年連続の優勝を阻まれ、この年は無念の準優勝に終わりました。
「全日本ベテラン」に出場したこの5年間は、テニスでも仕事でも激しいアップダウンの連続でした。納得のいく結果を出せなかった2009年と2011年の「全日本ベテラン」は、どちらもスクール経営が苦しい中での出場だったと思います。それでも支えてくれる人たちの励ましにより、何とか「心」だけは確立できましたが、「身体」をつくるゆとりと、「技」を磨く時間が足りませんでした。
振り返ってみて改めて感じすのは、「テニスは心身ともに安定していないと勝てないスポーツ」だということです。心を整えられないと体もつくれないし、心と体が整って初めて技がついてくるのです。
2007年から毎年出場を続けた「全日本ベテラン」ですが、35歳以上カテゴリーへの出場はこの年で終了。来年からは40歳以上での出場となります。カテゴリー最年少となる僕にとっては、有利な年でもあります。それゆえに「次こそシングルスでも優勝を決めて、名実ともに『日本一』になってみせる」と、来季に向けて新たな挑戦を決意したのですが……。