第63話 因縁の対決は続く | 佐藤政大 公式サイト

前年から続いていた、新スクール立ち上げに起因するゴタゴタも、2010年になるとようやく落ち着きを見せました。

そこで僕は地方大会への出場を再開し、ベテランランキングのポイントも獲得。無事に「全日本ベテラン」へのエントリーが叶(かな)いました。
そして10月、僕にとって4年目となる「全日本ベテラン」が始まったのです。

シングルスのトーナメントでは、僕は第5シード枠を得ての参戦、対照的に前年覇者の谷川選手はノーシードからの参戦となりました。

僕は1回戦を6-0、6-4で下し、2回戦を迎えます。奇遇にも相手は、昨年の2回戦と同じく横山督選手との対顔合わせとなりました。前回は苦戦を強いられた相手ですが、今年の僕はメンタル的にも肉体的にも上々の仕上がりです。試合開始直後からチャンスを的確にものにして、6-4・6-2で勝ち上がります。

準々決勝となった3回戦は、これまで2度対戦して勝てなかった“天敵”、前回覇者の谷川選手との激突です。過去の雪辱を果たすべく、壊れてもいいくらいの気持ちで挑みましたが、ファーストセットは0-6と完敗。反撃を試みるもセカンドセット3-6とまるで歯が立たず、あっけなくストレート負けを喫しました。

谷川選手は準決勝でも第4シードの白砂選手をフルセットで振りきり、タイトル防衛に王手をかけます。谷川選手が決勝で戦う相手は、この年35歳になったばかりでノーシードから勝ち上がってきた細川敬介選手。大学時代に軟式から硬式に転向し、努力を重ねて実力を磨いてきた遅咲きのプレーヤーです。

この決勝で、僕は想像すらしなかった番狂わせを目撃しました。誰もが疑わずにいた谷川選手の三連覇を、今大会初出場で当時まだ無名だった細川選手が阻止したのです。

細川選手の登場に、僕は強い衝撃を感じました。次から次へと現れるライバルを目の当たりにし、「まだまだ強い選手はたくさんいる」という現実を心に深く刻み込んだのです。

一方ダブルスのトーナメントには、この年からサトウグリーンテニスクラブ所属の高橋良昌選手も参戦。彼とペアを組むのは、昨年まで僕のパートナーだった黒田君です。

その黒田君に代わって僕とペアを組むことになったのが、この年35歳となったことから、ベテラン選手登録を行った道田光君。シングルスでも僕と逆側のブロックから出場しており、惜しくも細川選手に破れたものの、ベスト4入りした実力の持ち主です。

それまで一般選手としてツアー参戦していた道田君は、鉄壁の守備から攻撃に転じるカウンターパンチャー。長時間でも戦い続けられる強靭(きょうじん)な精神力とスタミナに長けており、ダブルスを得意とする選手です。

ダブルスでは、2人の選手が左右それぞれのサイドに分かれてプレーすることになります。右側をデュースサイド、左側をアドバンテージサイドと呼び、基本的には固定です。

ダブルスのサーブは、ポイントが決まるたびに左右を移動します。デュースサイド(右)の選手から始まり、アドバンテージサイド(左)の選手、再び右の選手、左の選手……と各サイド交互に順番にプレーしていきます。

デュースサイドのゲームを決めると1ポイント先取となりますが、その後のアドバンテージサイドを失うと同点に追い付かれます。試合の主導権を握るには、的確にサーブゲームのポイントを決めることが重要です。

そのため、トリッキーなプレーヤーがデュースサイドで先行、堅実なプレーヤーがアドバンテージサイドでリードをキープ、というのが強いペアに多い組み合わせです。

また、アドバンテージサイドは2人のうち上級者が務めるのが一般的です。なぜかと言うと、アドバンテージサイドがゲームポイントを決める確率が高いためです。デュースサイドのプレーヤーがポイントを決める機会があるのは40-15/15-40のみ。それ以外の局面ではアドバンテージサイドにそのチャンスが委ねられています。

例えば、30-40や40-A(アドバンテージレシーバー:40-40のデュースからレシーバー側が1ポイント先取している状態)のようにポイントを取ればブレイクできる場合、あるいは40-30やA-40(アドバンテージサーバー:40-40のデュースからサーバー側が1ポイント先取している状態)のようにポイントを取られるとゲームを失う局面など、重要となるポイントはいつもアドバンテージサイドにあります。

トリッキータイプの僕は、今まではコート右側のデュースサイドを守っていましたが、道田君がデュースサイドを得意とするため、今大会では僕が左側のアドバンテージサイドに変更することにしました。それに道田君はサウスポーですから、左のアドバンテージサイドにつくのは理にかなったポジショニングでもあるのです。最初はこの陣形がどこまで通用するか未知数でしたが、実際に組んでみると想像以上に良い噛み合わせを見せました。

ダブルスの初戦では、第3・4シードの強豪ペア、木村貴大・伊藤英治選手との対戦となりましたが、この試合を6-4・6-4で競り勝ちます。

続く2回戦は浅井正之・川村芳正ペアとの対戦です。浅井選手とは前々年のダブルス決勝で当たり、その際はセカンドセットタイブレークと苦しめられましたが、今回は6-4・6-2で下し、順当に勝ち上がることができました。

そして迎えた準決勝。対戦相手は、前回大会で完敗を喫した右近貴志・綿谷義樹ペアです。今年で3度目の顔合わせとなる宿敵ですので、事前に対策を十分に練り上げ戦いに挑みました。それが功を奏し、今回は6-4・6-3のストレートで快勝。昨年の雪辱を晴らしたのです。

さあ、ついに勝ち上がった決勝戦。しかも対戦相手はなんと黒田・高橋ペアです。まるで神様のいたずらのような展開に、驚くしかありませんでした。

しかし喜んでばかりはいられません。互いに手の内を知り尽くした選手同士の激突となるだけに、この試合は小さなミスでも命取りになってしまいます。

予想通り試合は立ち上がりから接戦となり、ファーストセットは長いラリーの応酬の末、7-5でかろうじて先取。その後も追いつ追われつのシーソーゲームが続き、セカンドセットはタイブレークまでもつれ込みます。

力量が伯仲する中、激しい攻防が繰り広げられましたが、相手の裏をかく戦略が功を奏しました。かろうじて7-6(5)でこのセットを競り勝ち、長時間の激闘に終止符を打つことに成功。ここで食い止められなければフルセットにもつれ込む場面でしたが、なんとかギリギリのストレート勝ちを修め、2年ぶりにダブルス王座を奪回することができました。

こして2010年の「全日本ベテラン」は、シングルスがベスト8、ダブルスでは優勝という戦績で幕を降しました。来季への手応えを感じた大会ではありましたが、シングルスには課題も残る結果となりました。

「自己研鑽(けんさん)を重ねて、シングルスでも上位進出を果たしたい。今まで以上にパフォーマンスの向上に取り組んでいこう」と、心に誓ったのでした。

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