第55話 初めての全日本ベテランテニス選手権 | 佐藤政大 公式サイト

「毎トー」と「関西オープン」。この2大会で奇跡的に優勝を果たし、ゼロだったベテランポイントが980と大幅アップ。これにより、夢だった「全日本ベテランテニス選手権」への出場を、現実のものにすることができました。

ベテラングレードランキングも2位となり、初出場ながら第2シード枠を獲得できたのも幸運でした。これで決勝まで第1シードの選手と当たることはありません。

2007年10月6日、名古屋市東山公園テニスセンターを舞台に「第69回 テイジン全日本ベテランテニス選手権 ’07」が始まりました。

ドロー表を見ると、出場者は一度もボールを交えたことのない選手がほとんど。対戦相手のプレースタイルがよくわからないのが不安でしたが、どんな相手であってもいつも通り、自分らしいテニスをやるだけです。

翌7日、待望の1回戦を迎えます。相手は、ベテランらしい手堅い戦いが持ち味の強豪、太田茂晴選手。この先を占うためにも大切なこの一戦の結果は6-2・6-1で勝利を獲得し、幸先の良いスタートを切れました。

続く2回戦は、前に出てボレーで決める「サーブ&ボレーヤー」タイプの竹中雄二選手との顔合わせ。

サーブを打つと同時にネットに近づき、相手の返球をノーバンウドから打ち返し、敵が反応する時間を奪ってミスを誘うタイプです。リスクも辞さないアグレッシブなテニススタイルですが、昨年まで一般カテゴリーで戦っていた僕にとっては対応しやすいタイプです。これまでの経験値が功を奏し、この試合も6-3・6-3のストレートで勝利することができました。

3回戦は高身長でサーブスピードの速い「ビッグサーバー」タイプの金原明範選手と対戦。この試合、相手コート深く丁寧な返球を心がけました。ビッグサーバー相手に浅くボールを返すと、次に相手が打ち返すタイミングが早くなり、自分がピンチとなる可能性が高まるためです。相手がネットに出ることを許さず、速い相手サーブにも踏み込んでリターンすることで守備範囲を狭め、攻めの展開に持ち込むことができました。この試合も6-4・6-3のストレートで競り勝ちました。

続く4回戦はセンターコートでの準々決勝。対戦相手の輿石龍児選手は、相手が放ったボールの勢いを利用して反撃する「カウンターパンチャー」です。

輿石選手は4歳も年上の39歳。年齢的に負けるわけにはいきません。しかしさすがは経験豊富、僕がスピードボールで攻め込むと、その倍のスピードで打ち返されるような速い展開にタイミングを奪われます。決して自分から仕掛けず、粘り強いストロークで前に詰めさせられ、耐えきれずにこちらが仕掛けるとカウンターで切り崩されます。知らない間に相手のペースに持ち込まれ、思うように責めきれません。

ここまで順調にストレートで勝ち上がってきましたが、輿石選手の巧みなゲーム運びに一方的に翻弄(ほんろう) され、この試合は3-6・4-6で完敗。「これに勝てば決勝も視野に入る」と思ったことで力(りき)んでしまい、自分で自分を追い込んでしまったことも、敗因のひとつでした。自分の未熟さを痛感させられる一戦となりました。念願の「日本一」まであと一歩及ばず、初めての「全日本ベテラン」への挑戦はここで終了となりました。

試合には負けましたが、同じコートで戦ったことで、輿石選手との距離が一気に縮まりました。正直なところ僕は会話が苦手で、友だちをつくるのが得意ではありません。

考えてみれば、僕は子供の頃からコンプレックスを抱えていました。勉強ができない、テニスも中途半端、地方出身の田舎者。相手に自分のレベルがバレることが恥ずかしくて、こちらから積極的にコミュニケーションがとれなかったのです。

ですがそんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのも、やはりテニスでした。言葉で会話するように「テニスで会話」をする。つまりボールを交わすことで相手と信頼関係が築けたり、互いにリスペクトし合う関係になれたりするのです。そこにあるのは多分、敬服や鼓舞、励ましやねぎらいといった、心の交流でしょう。

テニスに限らず、スポーツには「対面の相手とも、ポジティブなコミュニケーションを叶(かな)える魔法」のような作用があるのだと思います。

自分もそうですが、自信がない人は「こんなこともできないの?」と言われるのが怖いんです。

だからできない相手を責めるのではなく、「できない悲しさ」に寄り添える人でありたい。かつて自分が「できなかった」時の気持ちを忘れずにいたい。

この年齢になってもいまだに僕は、肝心な場面になると震えるほど緊張します。ただそんな時はなおさら、「自信があるフリ」をするように心がけています。

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