第5話 父のテニススクール… | 佐藤政大 公式サイト

支店長からの支援を受けたこともあり、父はテニスの強化コーチとして全精力を傾けられるようになりました。地元開催国体での栃木県勢上位入賞を目指したのです。そこに奮起した選手たちの努力も重なり、いざ大会が開催されると、予想以上の好成績を収めることができました。父がコーチを務めた少年男子は準優勝を果たし、男女総合・女子総合もそれぞれ4位入賞を達成したのです。

しかし喜んでいたのも束の間、国体に向けた強化事業が無事成功したと同時に、父が担ってきたコーチとしても任務も終了してしまったのです。それを機に我が家は一気に現実モードに引き戻されます。この頃には妹・久美子も誕生し、家族は4人に増えていました。郊外とはいえ、緑豊かな公園に隣接した庭付きの一戸建てですから、毎月返済するローンだって決して少なくない金額です。家族にとって、お金の重要性がますます高まってた時期に、強化コーチとしての収入がなくなってしまったのです。かといって、いつまでも支店長の善意に甘えているわかにもいきません。こうなった場合、一家の大黒柱である父親が復職するか再就職先を探すのが普通ですが、しかし天性の前向き思考である我が父・政雄は違いました。こともあろうにこの難局を受けて、本格的に「テニスで飯を食っていく」決意をしてしまうのです。

前述したように、ずば抜けた行動力を持つ父が目を付けたのが、テニスコート4面を備える近所のバッティングセンターでした。そしてなんと父は、「このコートでテニススクールをやらせて欲しい」とバッティングセンターの社長に直談判を仰いだのです。それも、バッティングセンターにスクールを開校してもらい、自分がコーチとして就職するという形態ではなく、あくまで「自分がスクールを経営する」という条件だったのですから、さぞかし社長も驚いたに違いありません。何ともまあ強気の依頼というか厚かましいというか…。しかし幸いにも度量の大きい社長だったようで、格安の使用料でコートを貸してもらえることになりました。

そして1981(昭和56)年の春、ついにサトウテニススクールが開校しました。父・政雄35歳、僕は小学校3年生になったばかりの出来事でした。

とはいえ、家の経済状態は決して楽ではありません。当然ながら、できたばかりのテニススクールに生徒はいませんから、実態は破産寸前と言っても過言ではない状況だったのです。父は浮かれていましたが、母は危機的な家計を補うため、隣町にある自動車工場へ働きに出ることになりました。家族の前ではいつでも明るく振る舞い、苦しいそぶりなどまるで見せることのなかった母ですが、実情は火の車だったのでしょう。大人になってから気がついたのですが、どうやら立川の実家からも相当の額の支援を受けていたようです。また、支店長からも内緒でお金を工面してもらっていたことも、後になって知りました。しかしそのことを母は一切家族に内緒にしていたため、家計が苦しいことに父は全く気がついていません。収入が減った分、いくらかは厳しくなってきているようだが、贅沢をしなければまあ何とかやっていける、そんな認識だったようです。けれど実際は「大好きな父が大好きなテニスに専念できるように」と、金銭的な苦労を母が一人で全て背負い込んでいたのです。

そしてこの時の過大なストレスが母の健康に重大な影を落としていたことが、数年後に大問題となって僕たち家族に突きつけられることになるのです。

(テキストは著作権により保護されています。(C)佐藤政大 小貫和洋)

関連記事

  1. 2024.12.26

    第43話 コート喪失の危機、再び

    紆余曲折(うよきょくせつ)の末、なんとか無事に拠点を移した父のテニスクラブもまた、経営的には安定した…

    第43話 コート喪失の危機、再び
  2. 2024.12.26

    第39話 切っ掛けはテニス焼け

    僕が最初に手に入れたクルマは、TE71「カローラ・レビン」でした。あの有名な、AE86のルーツとなっ…

    第39話 切っ掛けはテニス焼け
  3. 2025.08.5

    第60話 “敵”は自分の心の中にいた

    2008年10月8日、「第70回全日本ベテランテニス選手権大会」が始まりました。第1シードで出場した…

    第60話 “敵”は自分の心の中にいた
  4. 2023.01.23

    第8話 プリンアラモード

    小学4年生の3学期に亡くなるまで母と過ごした日々は、僕にとってかけがえのない大切な宝物です。…

    第8話 プリンアラモード
  5. 2025.01.24

    第55話 初めての全日本ベテランテニス選手権

    「毎トー」と「関西オープン」。この2大会で奇跡的に優勝を果たし、ゼロだったベテランポイントが980と…

    第55話 初めての全日本ベテランテニス選手権
  6. 2023.10.27

    第19話 目的と方法

    「人生に近道はない」とは言いますが、そもそも目的地が決まっていなければ、近道も遠回りもありません。…

    第19話 目的と方法
  7. 2023.10.18

    第16話 さらに強くなったコンプレックス

    父がなけなしの貯金を叩いて行かせてくれたアメリカ遠征。それは僕にとって、一生の宝物となる大きな経験で…

    第16話 さらに強くなったコンプレックス
  8. 2025.01.8

    第50話 日本一になりたい

    話は30歳を迎える頃に戻ります。その頃の僕は「なぜテニスをやっているのか?」という思いを強く…

    第50話 日本一になりたい
  9. 2024.12.24

    第34話 卒業はしたものの

    無事に高校を卒業はしたとはいえ、僕にとっての今後の進路はおろか、次の日の予定さえ決まっていない状態で…

    第34話 卒業はしたものの
お問い合わせ
PAGE TOP