第45話 支えられて | 佐藤政大 公式サイト

2009年4月。僕たちは自社コートでの新スクールを開校しました。

蓋を開けてみれば、Tスポーツクラブからこちらに移られた生徒さんはわずか30人ほどでした。宇都宮の東部に立地するTスポーツクラブに対し、自社コートは市街地の挟んで正反対の西側にあるため、移動時間は片道でも以前より30分以上はかかるでしょう。それでも僕たちの指導を受けるため、新スクールへの移籍を決めてくれたのです。それでも僕たちにとっては、本当にありがたい生徒さんたちです。

新スクールを始めたものの、経営的には危機的状況でした。生徒数はそれまでの1/10へ激減、収入も1/20まで縮小してしまっていたからです。最大のネックとなったのが、自社コート購入の際に組んだ融資の返済でした。月々の支払額はTスポーツクラブからの安定した収入をベースとしていたため、会社の財布は火の車です。そこで経営状態が良好だった父のスクールにお願いし、コートの賃料を上げてもらうことにしました。また、僕がボランティアで行っていた、父のスクールでのジュニア強化レッスンについても、きちんと報酬を払ってもらうようにしました。けれどそれでも、まだまだ毎月の固定費には届きません。一番の悩みは、やはりスタッフの人件費。これだけは何としても十分な額を払ってあげたかったのです。スタッフは、そんな僕の辛い立場を感じ取ったのでしょう。誰からともなく「経営が立ち直るまでは、自分たちの給与を下げてください」と自主的に言い出してくれたのです。

これには僕も泣けて泣けて仕方ありませんでした。ありがたさと情けなさが一緒になって押し寄せてきて、涙が自然と込み上げてきました。確かに人件費が抑えられれば、今の危機を脱することはできません。でもそれは僕にとって、決して選んではいけない禁じ手でもあったのです。

非常に悩ましい問題ですが、ない袖は触れないのも事実です。僕は「みんなには本当に申し訳ないけど、絶対に危機を乗り越えるから、しばらくの間だけ我慢して欲しい」と頭を下げ、社員からの申し出に甘えさせてもらうことを決断しました。と同時に「絶対に復活して見せる」と、心に強く誓ったのです。

人件費については、これ以外にもう一つ別の悩みがありました。4月から採用となる新入社員、吉村健児のことです。彼も僕の元教え子で、インターハイではベスト16の実績を持つ選手でもありました。3年前に高校を卒業した後、彼は「お世話になった政大コーチに恩返ししたいから、僕に3年だけ猶予をください。その間に『柔道整復師』の国家資格をとって戻って来ます」といって、専門学校‎へ進学しました。柔道整復師とは、捻挫や骨折を手技や包帯、テーピングで治療したり、ストレッチやトレーニング、リハビリテーションなどの指導を行うエキスパートで、メディカルトレーナーとして活動する人も多い専門職です。

3年後の春、彼は見事に首席で専門学校を卒業しました。その吉村健児が、約束通り僕のスクールへと戻って来るのが、この4月だったのです。

僕は彼に素直にVsignが直面している状況を説明しました。そして約束を守ろうとする彼に対し、満足な給与は払えないと頭を下げたのです。まだ今なら彼も別の就職先を選べる。健児の人生設計を僕たちの都合で覆すわけにはいかない。そう考えていたのです。

しかし彼は、そんな僕の思いとは裏腹に、意外な答えを返してきました。
「それでも構いません。僕の力がどれだけ役に立つかはわかりませんが、一緒に会社を立て直しましょう。僕にもその手伝いをさせてください」と言うのです。

その時の僕には、彼の申し出を受けるよりほかに選択肢がありませんでした。悲しくて、悔しくて、不甲斐なくて。それでも僕には支えてくれる仲間がいる。彼らのためにもこれで終わるわけにはいかない。そう心に決め前を向いて歩き出しました。

あの時の気持ちは、これからも決して忘れることはないでしょう。

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