第33話 テニスの道で生きていく | 佐藤政大 公式サイト

現在テニスクラブを経営している僕の出発点は、中学から高校にかけての苦しい時代の体験です。
父や教師、先輩たちからの覆いかかるような圧力の中で、僕は心に傷を負っていました。そんな中で悟ったのは「僕は組織の中の1つの駒となって働くことはできない」という結論でした。

理不尽なことに“No”と言えず、力のあるものに媚び諂って(こびへつらって)生きることには、もうこれ以上耐えられないと感じたのです。誰かの下で働くことを考えるだけで、激しい拒絶反応に襲われるほどでした。

高校3年生となり、将来の進路を描かざるを得なくなった僕の前に、就職という道は存在していないも同然でした。
勉強もできず、カネもコネも何もない僕に、唯一残されているのは“テニスの道”だけでした。
そこで僕は「それならテニスの会社を興して、そこで社長になってやろう」。そう考えたのです。

でもそんな意気込みとは裏腹に、僕に賛同してくれる人はだれ1人いませんでした。みんな「そんなの無理に決まっている」、「コーチとして生きていくのだって大変なのに、できるわけない、やめておけ!」と口を揃えて言うのです。

意外だったのは、あの父までが大反対だったことでした。僕がこの決断をした背景には、少なからず父親の生き方が影響していたにもかかわらず、です。サラリーマンとしての安定した収入を捨て、自分の夢である「テニス」に人生を託した父は、僕の密かなロールモデルでした。努力の末にテニスコーチとして生計を立てられるまでになった父に追いつき、そして追い越したい。心のどこかで、そう考えていたのです。
「まずは父を超えるテニスコーチになろう。そしていつか自分のコートを手に入れ、テニスクラブを立ち上げよう。メンバーが増えたら、スタッフたちも集めよう。そして、いつか桜田倶楽部のように、社会からも認められる組織にまで上り詰めよう」。そんな夢を見ていたのです。

周囲からは徹底的に反対されましたが、それでも僕はあきらめせんでした。それどころか、意地になって「いつかこの夢を実現してやる」と決意したのです。そして、夢に近づくために今日できることを地道にこなし、じっとチャンスを待ち続けました。僕には何もありませんでした。しかし、そんな僕でも「一歩踏み出す勇気」だけは、あきらめずに持ち続けていました。それだけが、その時の僕にとって唯一最大の財産だったといえるでしょう。

すべては無一文からのスタートでした。いま振り返れば綱渡りのような人生でしたが、いくつかの幸運な出会いが奇跡的なタイミングで重なり、何とか今のポジションにまでたどり着きました。そして指導者となった僕は、少年時代にどんなに求めても手に入らなかった3つの要素を、スクールの子供たちに提供してあげたいと考えています。

1つは、共に切磋琢磨する「仲間」。2つめは、個性を生かす「指導」。そして3つ目は、テニスに没頭できる「環境」です。
自分はいつも父とマンツーマンの練習でしたから、仲間もいませんでしたし、父以外の指導も受けることができませんでした。幸いコートだけは自宅近くにありましたが、そこは僕にとって戦場のような世界。決して居心地の良い場所ではなかったのです。

「仲間」、「指導、「環境」。もしあの当時、僕もこの3つの要素に恵まれていたなら、テニスの才能ももっと花開いたかもしれません。そんな思いがあるからこそ、スクールに通ってくれる子供たちには、僕のような悔しい思いをさせたくないのです。

仲間がいれば、子供たちは社会性を身につけやすくなります。年上の子が年下の子の面倒をみてあげることで、互いへの信頼感も芽生えます。その信頼関係を基軸にすることで、相手からも肯定的に受け止められるようになり、子供たちに自信が湧いてきます。すると、それぞれが伸び伸びと練習に打ち込むようになり、柔軟に才能を発揮させられるようになるのです。

そんな居心地の良い環境で、子供たちが共に思い出を重ねていく中で、いつしかテニスの輪は、「帰ってくる場所」となるはずです。僕たち指導者は親であり、先輩後輩は兄弟姉妹、そしてテニススクールは家となるなのです。

やがて子供たちは成長し、いずれ居心地の良い我が家を巣立つことになるでしょう。でも、この家で育った子供たちなら、社会人としてのスキルには問題ないはず。きっとどんな組織に入ったとしても、持てる能力を存分に発揮することができるでしょう。それはとりもなおさず、あの頃の僕が喉から手が出るほど欲しても、決して手に入れることのできなかったことでもあるのです。

そして万が一、社会に出て苦しいことがあったとしても、心配はいりません。いつだってみんなには、「帰ってくる場所」があるのですから。

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