第22話 2つの世界 | 佐藤政大 公式サイト

東京や神奈川で行われる大会に頻繁に参加していた僕ですが、そこでの楽しみといえば、何といっても、試合後にテニス仲間たちと街へ繰り出すことでした。むしろテニスよりも、こちらを目的に大会に参加していた、と言っても過言ではありません。

試合会場となる場所はいくつかあり、それぞれの街ごとに、行きつけの盛り場がありました。中でも渋谷や吉祥寺が一番のプレイスポットで、僕たちはプールバーやアミューズメントパークなどに入り浸っていました。

特に吉祥寺にあった、1階から5階までビルすべてがゲームセンターとなっている大規模な施設は、僕にとって大のお気に入りの場所でした。宇都宮では絶対あり得ない壮大なスケール感と、その独特な雰囲気に魅了されてたのです。

当時はテーブル型コンピュータゲームの全盛期。次から次へと新作が登場するような状況だったので、友達とはその攻略法で盛り上がることが多く、僕が彼らの話題に付いていくためには、とにかく数多くのゲームをこなして実戦経験を積むことが必要でした。しかしそれには当然お金が掛かります。そこで編み出したのが、あの「交通費差額」による錬金術です。

テニス仲間の多くは富裕層の子息でしたから、彼らと遊ぶにはとにかく出費がかさみました。しかしそんなことは大した問題にならないほど、僕は彼らと一緒に過ごすことが楽しくて楽しくてたまらなかったのです。都会の夜の危うさ、刺激的な音と光り。そして熱気あふれる人の渦。地元では決して感じることのできない激しい高揚感に、僕は酔いしれていきました。

そんなある夜のこと。いつものように吉祥寺のゲームセンターで遊んでいると、仲間の1人がカツアゲに遭遇してしまいます。東京にも不良中学生はいるもので、一見するとジェントルな僕たちは、きっと良いカモだと思ったのでしょう。中でもターゲットになった友達は、見るからに大人しそうな人物でしたから。

とはいえ僕たちだって、おぼっちゃま的なルックスながら、中身はガチガチの体育会系です。そう簡単には不良たちの餌食にはなりません。
口先でのカツアゲから始まったイザコザは、あっという間に擦った揉んだの小競り合いに発展していきました。すると様子を見ていた高校生達が、僕たちのと不良の間に割って入ります。実は彼らはテニスの先輩で、僕たちとも顔見知りです。年上で体も大きな高校生が味方だとわかるや否や、不良中学生は態度を一変させ、すぐさま引き下がりました。それを見た僕たちは、スカッ胸の空く思いをです。と同時に、とても大きな安心感も覚えたものです。

テニスは個人競技ですが、選手同士の団結力は固く、学校や年齢の垣根を越えて強い仲間意識を持っていました。それは地元では決して感じることのない、強固な世界観でもありました。面倒見が良く頼りがいもある先輩を軸にみんなの心がひとつになり、年長から年少まで信頼関係によってつながって、大きな安心感を生んでいたのです。

一方、宇都宮で僕が過ごしていた世界の大半は、学校生活が占めていました。クラスのダレとダレがどうとか、どこの学校の奴らが気に食わないとか、同世代だけの小さな社会で、自我と自我がぶつかり合っている状態でした。そんな様子を一歩離れた視点で眺めていた僕は、それがどうにも狭い世界に見えて仕方ありませんでした。

もし僕がテニスをやっておらず、普通の中学生として育っていたら、そんな世界にも何の疑念も感じなかったことでしょう。しかし僕は、テニスを通じて本来なら知り合うことのない仲間と出会い、見ることのない世界に触れながら、少しずつ大人になっていったのです。

今思えば、彼らは僕とは生きている世界がまるで違う「上流階級」の人間でした。テニスが強いだけでは出られない格式の高い大会にだって、彼らは当たり前のように出場していたのですから、どれほどの家柄なのかは言わずもがなです。当然ながらそういった大会には、、僕が参加することはできませんでした。しかし彼らと出会ったのが小学生時代だったこともあり、互いにそんなことは気にしていませんでした。

当時のテニス界での僕は、かなりの異端児だったに違いありません。地方の中流出身で公立学校に通う純朴な田舎の少年。いつも試合には各駅停車の電車を乗り継いで参加していました。
そこそこの結果を出すけど、ラケットやシューズはワンセットのみ。ウエアだっていつも同じもの。
きっと端(はた)から見れば「プロゴルファー猿」のような存在だったかも知れません。それでも彼らは、他の仲間と隔たりなく僕と付き合ってくれたのです。

彼らとの交遊を通じて得られたのは、本来なら決して得ることのできない、様々な経験と幅広い視野でした。それは、多感な時期を送っていた僕にとって、掛け替えのないものとなりました。父に無理強いされて仕方なくやっていたテニスですが、このことだけをとっても、「テニスと出会えた」のは幸運でした。今となっては、この幸運にとても感謝しています。

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