第19話 目的と方法 | 佐藤政大 公式サイト

「人生に近道はない」とは言いますが、そもそも目的地が決まっていなければ、近道も遠回りもありません。

まだ僕が小さかった頃、東京や神奈川など遠方で行われる大会に出場する時は、いつも母が一緒に付き添ってくれました。しかし母が他界してしまうと、父は僕に「1人で大会に行く」か、あるいは「参加しない」か、の選択を求めるようになったのです。父は仕事が忙しく、僕の大会に付き添うことができなかったからです。

本音を言えば、テニス漬けの毎日を送りながらも、僕自身が本当にテニスを好きだったわけではありませんでした。あくまでテニスを愛しているのは父であり、僕はその父の意向で無理矢理テニスを「やらされている」と感じていたのです。それゆえ僕には「大会に参加しない」という選択肢を採りたかったのですが、実際に選んだのは「1人で行く」ことでした。

理由は二つ。
第一に、遠征に行くことで僕は支配者である父の監視下から逃れ、自由に行動できるからです。
もう一つは、大会に行ってテニス友達と会いたいかった、という動機です。試合が終わった後に、この仲間たちと遊ぶことが僕は楽しくて楽しくてたまりませんでした。彼らと会うためには、テニスで強くなって大会出場権を得ることが必須条件です。強くなればなるほど、より多くの大会に参加できる。そして、より多く彼らと遊ぶことができたのです。それが、僕がテニスを続けていた本当の理由でした。

僕以外はみんな、都会育ちの御曹司でしたから、遊び方もスマートです。そんな彼らと遊ぶには、それなりの小遣いが必要です。中学生ともなると必要額も大きくなり、僕は今まで以上にお金の悩みを抱えるようになっていきました。そんな中、お金を工面するために編み出したのが、交通費の差額を稼ぐという方法でした。

神奈川県の藤沢市にSSC(湘南スポーツセンター)というテニス選手育成施設がありました。桜田倶楽部と並ぶ名門です。当時はそこのコートで大きな大会が頻繁に開催されており、僕もよく遠征に通っていました。今でこそ藤沢へは「JR湘南新宿ライン」や「JR上野東京ライン」1本で乗り換えなしで行けますが、当時はまだ国鉄時代。新幹線を使う余裕はありませんから、宇都宮市内の最寄り駅から東北本線(現・宇都宮線)に乗り、上野駅から国電(山手線や京浜東北線など)へ乗り継ぎ、さらに東京駅から東海道本線に乗り換えて、藤沢に向かうのが最短ルートでした。

しかし僕は、大宮から赤羽線(現・埼京線)経由で新宿に向かい、新宿から小田急小田原線に乗り継いだり、時にはもっと時間のかかる東武宇都宮線や伊勢崎線を利用して交通費を浮かせていたのです。

時間は倍近く掛かりますが、交通費も大幅に安くなるので、遠征場所は遠ければ遠いほど大歓迎でした。この小遣い捻出の方法については父も了承済みで「お前が自分で調べて、自分で手間をかけて行くのなら構わない」と言ってくれていましたから、大手を振ってこの方法を多用していたのです。

大変だったのは、経路と時間をあらかじめ調べる必要があること。今ならwebでルートも時間も、運賃さえも一発表示されますが、当時はそんな便利なものはありません。時刻表と首っ引きで一番「儲かる」経路を調べ、あとはぶっつけ本番で出かけて行くのです。

経験を積むうちに、何かわからないことがあれば、すぐに駅員さんに聞くことも覚えました。最初は恥ずかしかったけど、教えてもらわず間違った場所に着いてしまったら、小遣い稼ぎの目的は達成できません。試合にも出られませんし、友達にも会えないのです。それどころか、赤字にでもなったら目も当てられません。ただでさえ金欠で困っているのに、です。
僕は今でも当時のクセが残っており、何かわからないことがあるとすぐに誰かに教えてもらいます。わかっている人にきちんと聞くことで、より確実なルートを見つけることができることを、あの頃の経験から学んでいるのでしょう。

大人になった今、僕はスクール生の子供たちにこう伝えています。それは、「まずは将来の目的地をきちんと定めよう。目的地が決まれば、ルートは無数にある。その中からどのプロセスを選ぶかはキミたち次第。自分の希望や事情に応じて最適な道を都度選んでいけば、きっといつかは目的地に到達できる」ということです。

世の中は才能やお金があれば最短コースで目標に到達できることもある。しかし道は一つでは無い。無いなら無いなりに、進むべき道もまた同時に存在している。時間や努力が必要かもしれないけれど、目的地を見据えてあきらめなければ、いずれはきっと手が届く。このことは、決して楽ではなかったけど、自分に許された範囲で精一杯努力することでエキサイティングでエネルギッシュな少年時代を送っていた、当時の体験の中から見出した真理だと思っています。

などと偉そうなことを言ってしまいましたが、実はあの頃の僕は明確な目的地なんて、持っていませんでした。今でこそ世界ランキングにも挑戦していますが、10代20代はそれほど明確な目標に向かって努力していた訳ではありません。
「いつかはウインブルドン。いつかは世界で活躍」という、ぼんやりとした夢はありましたが、そのために何か具体的な行動を起こせた訳ではありませんでした。何となく見えていた「全日本優勝」という中間地点を目指して、ただ漠然とテニスに取り組んでいたに過ぎません。そんな僕ですから、いつまで経っても目的地に到達することはできませんでした。テニスで強くなるには資金力が必要だと痛感していたし、僕が報われないのはお金がないからだと、心のどこかで言い訳していたようにも思います。

そんな僕がきちんと「目的地」を意識したのは30代になってから。その目的地というのが「ベテランクラス優勝」です。たまたま雑誌で知った「全日本ベテランテニス選手権」に興味を持ち、「これなら今からでも行けるかな」と思ったことが切っ掛けでした。
まずは最年少カテゴリーの35歳以上クラスに出場すること。そして果たすことができなかった「全日本優勝」の栄誉を手に入れること。そういった具体的な目標を掲げることで、僕のテニスに対する意識は一変しました。今の自分には何が足りないのか、次に何をすれば良いのか、俯瞰的な視点から明確なトレーニング方法を導き出せるようになったのです。

「練習は裏切らない」という言葉通り、目標を定めて適切なトレーニングを重ねるほどに実力も付き、2013年の大会でついに全日本優勝を果たすことができました。ベテラン選手権初挑戦から時は過ぎ、すでに45歳以上のクラスとなっていましたが、ついに僕は幼い頃から夢みていた、「日本チャンピオン」というポジションに立つことができたのです。

その翌日、NHK宇都宮放送局からテレビ取材が入りました。僕は日本一になって浮かれていたのでしょう、そのインタビューの中で「優勝おめでとうございます。次の目標は何ですが?」と聞かれた時、つい勢いで「そうですね。日本一の夢は達成しましたから、今度は世界を目指します」と言ってしまいまったのです。
うっかりとはいえ、一度口に出してしまった以上は後には引けません。そこで僕はこの発言を切っ掛けにテニスの世界ベテランについて調べました。すると既に世界シニアランキングが存在し、かなりの数の選手が登録されていることがわかったのです。この事実を知った瞬間、「これなら俺も行けるかも!」と直感しました。
こうやって自ら調べると、漠然と浮かんでいた夢が目標として「見える化」するんですね。どうすれば世界ランキングを獲得できるのか、どんな選手が世界ランク1位なのか、どうやったら自分も首位に立てるのか。目標を明確にすることで、そういった具体的な課題が浮かび上がったのです。

そして今、僕は仲間たちの支援を得ながら、このITFシニアランキングという新たな目標に挑戦しています。ずいぶん遠回りしてしまったけれど、あの頃漠然と夢見ていた「世界」を、ようやく真の目的地に定めることができたのです。

 

 

 

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