第13話 アメリカ遠征で手に入れたもの | 佐藤政大 公式サイト

アメリカ遠征に参加したことで、僕が得た最大の収穫といえば、何といっても「ノーカット・ビデオ」を鑑賞できたこと。宿泊先に備え付けられたテレビでいろいろな番組が視聴できましたが、その際に同行した中学生たちのお兄さんたちが視ていたのが、本場?の無修正ポルノでした。まだ小学生だった僕も、食い入るように見つめたものです。もちろん当時は未経験ですから、なおのこと興味津々です。

アメリカ遠征に参加したことで、僕が得た最大の収穫といえば、何といっても「ノーカット・ビデオ」を鑑賞できたこと。宿泊先に備え付けられたテレビで様々な番組が視聴できましたが、その際に同行した中学生たちのお兄さんたちが視ていたのが、本場?の無修正ポルノでした。まだ小学生だった僕も、食い入るように見つめたものです。もちろん当時は未経験ですから、なおのこと興味津々です。

……というのは冗談で、本当の収穫は、やはりテニスを通じて得た自らの成長です。アメリカでテニスをプレーすることで、非常に大きな成長を遂げることができました。というのも、日本での僕の指導者は、常にスパルタ式テニス教育に徹する父親ただひとりだったのですから。

星一徹を地で行くような父は、どんなに僕が上達しても決して褒めることはしません。父の評価は減点法のため、“できたこと”よりも“できないこと”にばかり目を付けるので、いつも指導は「怒る」「叱る」ばかり。僕は自分のテニスに自信が持てず、当然ながら自己肯定感も低くなりがちでした。僕にとってテニスは“仕方なくやらされているもの“であり、そこに楽しさを感じることはありませんでした。

しかしアメリカに行ってみると、それがまるで違っていたんです。現地のコーチは、僕が良いプレイをした時には、必ず「グッド!」とか「エクセレント!」などと言って褒めてくれるではありませんか。そう、アメリカの指導法は加点式なんですね。しかも、とても大きなジェスチャーを添えて褒めてくれるものですから、僕のテンションも大いに高まります。現地の子どもたちも本当にうれしそうにテニスをしていましたし、彼らと行う練習試合は非常に楽しかったことを記憶しています。リアクションの大きいアメリカ人たちの中にいるだけで、なんだか僕までハッピーになってしまうんです。

そんなある日、生まれて初めて「テニスを楽しんでいる自分」に気が付きました。今までとは違う自分の姿を客観的に見つめ、「ああ、僕はテニスが好きだったんだ!」と初めて実感したのです。それまで強制されて嫌々プレーしていましたが、「テニスってこんなに楽しいものなんだ」と、あらためて感じることができたのです。

それに加えて、「こんな僕でもテニスを頑張れば、もっともっとたくさんの友達が世界中に増える」という自信や、自分のコミュニケーション能力への誇りも持てるようになりました。母親がいないことに起因する、心の不安定さを抱え、ひねくれそうになりながらも、人生を逸脱せずに何とか現在まで生きて来られたのは、この時の経験があったからこそでしょう。

しかしながら現実は酷なものです。その後日本に帰国すると、今まで通り父に叱られ続ける日常の中では、アメリカで出会った素敵な発見さえも、あっという間に色褪せてしまいました。以前と同様に、テニスのつらさに打ちのめされたことも、数えきれないほどありました。でもそんな時こそ、僕はあの楽しかった数週間のことを強く心に描き直しました。「テニスは楽しいもの」「こんな僕でも世界の中でやっていける」と感じた事実が、小さくても確かな自信となって、押しつぶされそうなった自分を支えてくれたのです。

もしあの時、アメリカに行っていなかったら……。テニスの楽しさに気が付いていなかったら……。
その後の人生は、今とは違ったものになっていたかも知れません。というのは冗談で、本当の収穫は、やはりテニスを通じて得た自らの成長です。アメリカでテニスをプレーすることで、非常に大きな成長を遂げることができました。というのも、日本での僕の指導者は、常にスパルタ式テニス教育に徹する父親ただひとりだったのですから。

星一徹を地で行くような父は、どんなに僕が上達しても決して褒めることはしません。父の評価は減点法のため、“できたこと”よりも“できないこと”にばかり目を付けるので、いつも指導は「怒る」「叱る」ばかり。僕は自分のテニスに自信が持てず、当然ながら自己肯定感も低くなりがちでした。僕にとってテニスは“仕方なくやらされているもの“であり、そこに楽しさを感じることはありませんでした。

しかしアメリカに行ってみると、それがまるで違っていたんです。現地のコーチは、僕が良いプレイをした時には、必ず「グッド!」とか「エクセレント!」などと言って褒めてくれるではありませんか。そう、アメリカの指導法は加点式なんですね。しかも、とても大きなジェスチャーを添えて褒めてくれるものですから、僕のテンションも大いに高まります。現地の子どもたちも本当にうれしそうにテニスをしていましたし、彼らと行う練習試合は非常に楽しかったことを記憶しています。リアクションの大きいアメリカ人たちの中にいるだけで、なんだか僕までハッピーになってしまうんです。

そんなある日、生まれて初めて「テニスを楽しんでいる自分」に気が付きました。今までとは違う自分の姿を客観的に見つめ、「ああ、僕はテニスが好きだったんだ!」と初めて実感したのです。それまで強制されて嫌々プレーしていましたが、「テニスってこんなに楽しいものなんだ」と、あらためて感じることができたのです。

それに加えて、「こんな僕でもテニスを頑張れば、もっともっとたくさんの友達が世界中に増える」という自信や、自分のコミュニケーション能力への誇りも持てるようになりました。母親がいないことに起因する、心の不安定さを抱え、ひねくれそうになりながらも、人生を逸脱せずに何とか現在まで生きて来られたのは、この時の経験があったからこそでしょう。

しかしながら現実は酷なものです。その後日本に帰国すると、今まで通り父に叱られ続ける日常の中では、アメリカで出会った素敵な発見さえも、あっという間に色褪せてしまいました。以前と同様に、テニスのつらさに打ちのめされたことも、数えきれないほどありました。でもそんな時こそ、僕はあの楽しかった数週間のことを強く心に描き直しました。「テニスは楽しいもの」「こんな僕でも世界の中でやっていける」と感じた事実が、小さくても確かな自信となって、押しつぶされそうなった自分を支えてくれたのです。

もしあの時、アメリカに行っていなかったら……。テニスの楽しさに気が付いていなかったら……。
その後の人生は、今とは違ったものになっていたかも知れません。

関連記事

  1. 2025.01.8

    第46話 生徒数激減の危機

    自社コートでのスクールを開校したものの、もともと300人だった生徒数は30人まで激減し、経営状態は最…

    第46話 生徒数激減の危機
  2. 2025.08.5

    第61話 雪辱果たせずのシングルス

    前年はベスト4敗退を喫した「全日本ベテラン」シングルストーナメントですが、2008年もはランキング1…

    第61話 雪辱果たせずのシングルス
  3. 2023.10.27

    第23話 もう逃げない

    中学入学当初は体も小さかった故に抵抗できず、悔しさを噛み締めながら力に屈服せざるを得なかった僕も、3…

    第23話 もう逃げない
  4. 2025.01.8

    第45話 支えられて

    2009年4月。僕たちは自社コートでの新スクールを開校しました。蓋を開けてみれば、Tスポーツ…

    第45話 支えられて
  5. 2025.01.8

    第49話 頭をよぎった「廃業」の二文字

    生徒数の激減と原因不明の呼吸困難という試練を乗り越え、なんとか立ち直りかけたのも束の間、また新たな危…

    第49話 頭をよぎった「廃業」の二文字
  6. 2025.01.22

    第53話 幻となった108ポイント

    日本の硬式テニス大会には「一般」や「ジュニア」と並んで、「ベテラン」というカテゴリーがあります。35…

    第53話 幻となった108ポイント
  7. 2023.10.18

    第17話 ヤンキーの洗礼

    テニスシューズの一件から間もなく、もうひとつの事件が起こりました。僕の家は学校から3キロほどと距…

    第17話 ヤンキーの洗礼
  8. 2025.01.29

    第57話 新たなダブルスパートナー

    前年のベテラン大会は、パートナーを組むはずだった伊藤選手の辞退により、ダブルス出場を断念せざるをえま…

    第57話 新たなダブルスパートナー
  9. 2025.08.7

    第64話 無念の2011年

    2010年の「全日本ベテラン」では、ダブルスでは王者への返り咲きを果たした一方、シングルスでは過去最…

    第64話 無念の2011年
お問い合わせ
PAGE TOP