第2話・望まれなかった誕生 | 佐藤政大 公式サイト

佐藤政大ヒストリーズ

望まれなかった誕生

父は、I社と専売契約を結ぶ医療機器販売ディーラー・Y社の宇都宮支店に単身出向し、自治医科大学へ日参することになりました。そのような中、父の人生の中でも大切な出会いがあったといいます。それは、Y社宇都宮支店長の田丸さんとの出会いです。田丸支店長は、超音波診断装置の将来性を高く評価し、今後はこの製品が会社を支える屋台骨になることを確信していました。超音波診断装置を制した会社が、これからの医療機器業界を制すると考えていたのです。そのため装置のテクノロージーに精通し、かつドクターたちからも一目置かれている父を、支店長は貴重な人材として多いに評価してくれたそうです。そして父にY社の正社員として転職するよう持ちかけ、待遇や給与などの条件面を優遇することも約束してくれました。

田舎育ちの父にとっても、のんびりとした栃木県の暮らしは大変魅力的だったそうです。生き馬の目を抜くような東京で、身をすり減らすように競い合うのは性に合っているとは言い難かったのです。一方で父が気にしたのは、東京出身の母の気持ちでした。父なりにいろいろと考えた末にこの件を打ち明けたところ、なんと母はあっさりと承諾してくれたそうです。

郊外とはいえ東京で育った母にとって、栃木県での暮らしはさぞかし不安があったことでしょう。それでも母は、父の希望を第一に尊重してくれたのです。「愛する家族の幸せこそが、自分の幸せである」と。母はそういう人なのです。そして今も父は語るのです。「僕にはもったいないほどの『できた女性』だった」と。

翌1971(昭和46)年、父は正式にY社に転職しました。支店長が全面的に調整をしてくれたお陰で、I社とは円満退職ができたそうです。その背景には、I社としてもY社との代理店契約を長く維持したいという思惑があり、両社のパイプ役としての父の存在に期待していたそうです。それもあって、父は義理を欠くことなく転職できたのです。さらに支店長の計らいで、母と暮らすための新居探しも順調に進みました。父は母を呼び寄せ、宇都宮であらためて2人の生活が始めます。そして母が僕を身籠ったのは、それから間もなくのことだったそうです。

その母が妊娠が、事件の発端でした。「子供なんていらない」。それが父の答えだったそうです。そう、僕は生まれる前から父に存在を否定された、悲劇の子供だったのです。父が語るには「まだ子供を育てる自信もなかった。自分が子育てするなんて、想像すらできなかった。」とのこと。僕も大人になり、今でこそ父の言い分が理解できなくもないのですが、初めてこの事実を知ったときは、怒りを通り越して深い悲しみで一杯となり、深い絶望の淵に突き落とされたような気分でした。

妊娠を知った父は子供のように怒鳴り散らし、すねてしまいまったそうです。しかし母は強い女性です。どんなに反対されても、僕を生むことを固く決意していました。そして父の理不尽な反対に、静かな対抗策を講じました。覚悟を一心に背負い、父と暮らす自宅を飛び出して立川の実家へと向かったのです。それから僕が生まれるまでの数カ月を、母はどんな心境で過ごしたのでしょうか。そのことを考えると、胸が引き裂かれるような思いです。すべては元気で健やかな赤ちゃん(つまり僕)を生むための決断でしたが、結果としてこの別居が父と母、そして僕の運命に大きな影響を及ぼすことになっていくとは…。現実とはなんと皮肉なものなのでしょう。これを機に父とテニスと出会い、やがては僕の人生にまで、テニスが重く伸し掛かっていくことにつながるのです。

母の帰省中、望まぬながらも一人暮らしとなり、時間に余裕のできた父は暇を持て余していました。勤労青少年ホームという施設で卓球クラブに入ってみたものの、まったく楽しくありません。それよりもむしろ興味を引かれたのは、施設のグラウンドで行われていたテニスだったそうです。しかしテニスクラブは定員オーバーで、参加することはできません。そんな折、会社から帰宅する途中にふと見かけたのが、夜間照明に浮かび上がった市営のテニスコートでした。誘われるようにその場へと足を進めた父が見たのは、勤労青少年ホームのテニスクラブとはまるでレベルの違う、上級者たちによる練習風景でした。

本格的な練習を見て、「どうにかこのクラブに入りたい」と思った父は、持ち前の人懐っこさでメンバーに話しかけます。しかし見るからにビギナーの父のことなんて、誰も鼻にも引っ掛けません。それでもメゲることを知らない父は、果敢に攻め続けます。そのような中、たった一人だけ誠実に父の想いに向き合ってくれる人がいました。栃木県代表として国体にも出場していた生井幹夫さんです。

父が入会希望を伝えたところ、グループのリーダーでもある生井さんは、快く受け入れてくれたそうです。ただし入会と引き換えに、ある条件がありました。それは「コートの予約係」を務めること。当時はテニスコート自体がまだまだ少なく、この市営施設の使用権を得るには、毎月決められた日の朝早くに市役所に行き、抽選に参加することが必要でした。もちろん抽選ですから、参加しても必ず予約できる訳ではないのですが、それゆえにクラブメンバーにとって大きな負担だったのです。その役目を父が引き受けてくれれば、クラブにとっても負担が解消されます。真正直な父は誰もが嫌がる「コートの予約係」をあっさりと引き受け、毎月きちんとその役割を果たしました。そのこともあって、すぐに生井さんと父は親しくなっていきました。父より1歳年上で兄貴肌の生井さんは、雨の日でも休まず練習に参加し続ける父を熱心に指導ししてくれたそうです。テニスにすっかり魅了されてしまった父は、いつしか仕事以外の時間はすべて、テニス最優先で費やすようになっていったのでした。

母から父のもとへ、「赤ちゃんが生まれました」との連絡が入ったのは、そんな時でした。妊娠に父が怒り、母が実家に戻ってしまったことを心配していた田丸支店長は、僕が無事に生まれたことを聞いて、父をたしなめるように語ったそうです。「いつまでも意地を張ってないで、子供の顔を見に行ってこい。かみさんに頭を下げて、もう一度家に帰って来てもらえ」と。その上さらに支店長は、僕たちが3人で暮らせる広い家まで斡旋してくれたそうです。

その後、父が母になんと言って詫びたのかはわかりませんが、父の謝罪はうまくいったらしく、その後間もなく僕たち家族3人は、宇都宮の新居で暮らし始めたのでした。

(テキストは著作権により保護されています。(C)佐藤政大 小貫和洋)

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