第3話・テニスとの出会い | 佐藤政大 公式サイト|masahiro-sato.com

佐藤政大ストーリーズ

3. テニスとの出会い

僕は覚えていないのですが、古くからの父のテニス仲間の方々が僕の思い出を語る時、必ず口にするのが、「ちっちゃい頃のマー君(僕のこと)が、審判台に縛り付けられていた姿が忘れられない」という話です。僕が歩けるようになると、父はいつも僕をテニスコートに連れて行ったらしいのですが、こともあろうに父は、自分がテニスに集中するために僕をロープで審判台に繋ぎ、その間に練習や試合に励んでいたというのです。今だったら児童虐待で訴えられてしまいそうな話ですが、その頃は微笑ましい光景として受けて止められていたようです。

とは言っても、ずっと僕を繋ぎっ放しにした訳ではなく、練習の合間に僕にラケットを持たせ、地面を転がすようにボールを投げて遊んでくれたそうです。それが僕とテニスとの最初の出会いでした。父が言うには、休日は母に代わって子供の面倒をみてあげたいのだけど、テニスにも打ち込みたい。そこで、母に弁当を作ってもらって、僕を連れて出かけていたのだそうです。

最初のうちはどこにでもいる「テニス好きの父と子」といった感じで、のんびりとテニスを楽しんでいた僕たちでしたが(ロープの件はともかく)、その後間もなくして、父のテニスに対する向き合い方が大きく変わることになります。前回に話した通り、父が所属していたのは県内でもトップクラスのプレイヤーが集うクラブでした。ですから、マインドがいわゆる“体育会系”だったんですね。で、ある日先輩が父に尋ねたそうです。「ところでお前は、何を目指してテニスをやってるんだ?」と。その問いに、父はあまり深く考えずに「僕もできることなら、先輩たちみたいに国体に出場してみたいと思っています!」と答えてしまいました。すると、メンバーたちから「今から国体選手?」、「無理無理、できっこないよ!」と呆れらたり、「そんなに甘い世界じゃないぞ、テニスをなめるな!」と一喝されたり。それはもう、散々な反応ばかりだったそうです。普通なら「いやいや、冗談ですよ。困るなぁ。」といった具合に場を収めるところなのでしょうが、良くも悪くも一本気な父は、まるで逆の反応を示してしまいます。「そこまで言うならやってやろうじゃないか!」と、却って闘争心に火がついてしまったのです。この時すでに父は20代後半。誰の目からも「届かぬ夢」であることは明らかでしたが、父の情熱は燃えたぎり、ひたすらに練習に励み始めるようになるのです。

父のすごいところは、その行動力です。宇都宮市の郊外に、さまざまな種目のスポーツ施設を備えた県立の総合運動公園があり、当然ながらテニスコートも設置されていました。そこで父は「毎日テニスができる環境に身を置く」ため、その公園のすぐ隣に家を購入することにしたのです。当時はまさに超音波診断装置が広く普及し始めていた時期で、父の勤め先である医療機器販売ディーラー・Y社の業績も右肩上がり。中でも超音波診断装置のスペシャリストである父の待遇は非常に恵まれていましたから、銀行の審査もスムーズに通ったそうです。本当にラッキーな時の巡りだと、その当時の父は自らの運命に感謝したようです。しかしこのことがきっかけとなり、後年に家族が大変な目に遭うことになるとは…。この時点ではだれも気付いてはいないのでした。

コートの近くに家を買ってまでテニスに打ち込むほどですから、父の腕前はメキメキと上がっていきました。仕事を通じて、父には大学のドクターや教授たちとの人脈があったのですが、中でも自治医科大学の体育学教授であり、オリンピック選手の指導にも当たっていた阿部先生が、たいそう父を可愛がってくれたそうです。父がテニスに真剣に取り組んでいることを知ると、身体能力の強化方法や効果的なトレーニング、故障予防のノウハウなど、当時はまだまだ一般的ではなかった運動生理学に基づく指導をしてくれたそうです。このことは遅れてきたルーキーである父にとって、非常に強力な追い風となりました。

憧れの先輩である生井さんもまた、父が強くなればなるほど練習相手として役立つので、熱心に指導をしてくれたそうです。1対1でのハードな練習を重ねるうちに、父はグングン腕を上げ、県内チャンピオンでもある生井さんに次いで、クラブ内で2番手にまで成長しました。県大会ともなると、ダブルスでは二人でペアを組んで優勝、シングルスでもワンツーフィニッシュと向かう所敵なし。そしてついには1976(昭和51)年に佐賀県で行われる、第31回国民体育大会への出場権を獲得するまでに上り詰めたのです。

「国体選手になる」と誓ってから、わずか数年。誰からも不可能だと思われた目標を、努力の末に手に入れた父。子供の頃はそのすごさがよくわかりませんでしたが、同じようにテニスの道を志してきた者として、今はそれがどれだけ並外れたことかを身をもって実感しています。全くの初心者が、テニスを始めて数年で国体出場を果たすなんて信じられない出来事です。その後も父は国体に7回出場、さらに全日本選手権予選やジャパンアジアオープン国内予選への出場を成し遂げるなど活躍の場を広げ、70歳を過ぎた今でも現役を貫いています。あらためて僕は、父の偉大さを誇りに感じています。そして、練習に励む若き父の傍らに、ロープで繋がれた僕がいたこともまた、僕たち家族にとっての大切な思い出の一つです。

(テキストは著作権により保護されています。(C)佐藤政大 小貫和洋)

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